歴代日本人F1ドライバーと比較した角田裕毅の強さとは?

柴田久仁夫

角田に足りなかった「求心力」

2007年のスペインGPで8位入賞。チームに初ポイントをもたらした佐藤琢磨。スーパーアグリの戦闘力からすれば、まさに快挙だった 【(C)柴田久仁夫】

 一方で「精神力」「求心力」に関しては、この時点での角田はまだ満足できるレベルにはなかった。中でも、「このドライバーのためなら全力を尽くそう」と周囲の人間たちに思わせる「求心力」が、特に足りない印象だった。

 F1での大成に欠かせないこの能力が、歴代日本人ドライバーでずば抜けて高かったのは佐藤琢磨だった。具体例を挙げればキリがないが、佐藤と接した人たちはチームスタッフに限らず、スポンサーや僕たちメディア関係者も含め、誰もが魅せられてしまうのだ。

 結果的にF1では3位表彰台1回に留まったものの、インディカーシリーズに活躍の場を移してからはインディ500で優勝2回、47歳の今も現役ドライバーでいられるのは、佐藤の並外れた「求心力」が決して無縁ではないはずだ。

 比較の範囲を広げると、かつてのミハエル・シューマッハ、現役ドライバーではマックス・フェルスタッペン、ルイス・ハミルトンがいずれも絶大な求心力の持ち主だ。一方でフェルナンド・アロンソは、彼らに決して負けない才能がありながら、わずか2回のタイトル獲得にとどまっている。その要因の一つは、もしかするとこの求心力の足りなさかもしれない。

 生身のアロンソは非常に人懐っこい、魅力的な性格だ。ところがフェラーリ時代の浜島裕英エンジニアが「あの人は、ちょっと政治的すぎましたよね」と評するように、なぜかスタッフからの評価は少し距離を置いたものが多かった。

 対照的にシューマッハは、第三者である僕には、冷徹さが透けて見えるようなところがあった。それでもフェラーリのスタッフは幹部からトラック運転手、ケータリングのおばちゃんに至るまで彼に心酔し、一丸となってサポートしていた。浜島エンジニアも、今もシューマッハのことは手放しで称賛する。

 この「求心力」が、具体的な成績とある程度正比例することは確かだろう。しかしそれだけとも思えない。漠然とした言い方になるが、実力、性格、コミュニケーション能力などをひっくるめた、総合的な「人間力」とでもいうべきものか。そんな得体の知れない「求心力」を、今の角田はかなりのレベルで身につけつつあるように思う。

角田はもはや「ホンダドライバー」ではない

角田のもう一つの強さが、同じマシンを駆るチームメイトに圧勝していること。これも今までの日本人F1ドライバーにはなかった特質だ 【(C)Redbull】

 角田は20歳で、F1デビューを果たした。日本人F1ドライバーの中では最年少だった。34歳だった中嶋悟は言うに及ばず、25歳の佐藤琢磨、23歳の小林可夢偉と比べても、その若さは大きなアドバンテージだった。一方で若さゆえの未熟さ、レース経験の少なさによるミスを繰り返すことで、遠回りをしてきたのも事実だ。

 そんな角田を、フランツ・トスト前代表は「一人前のF1ドライバーになるには、少なくとも3年が必要だ」と、辛抱強く成長を見守ってくれた。ホンダのサポートも、もちろん大きかった。彼らの尽力がなかったら、もしかしたら角田のF1キャリアは早々に終わっていたかもしれない。

 しかし4シーズン目のF1を戦う今の角田に、1年前には確かにあった脆さや欠点は、ほとんど見られない。

 角田を含め、歴代日本人F1ドライバーのほとんどは、自動車メーカーのサポートや有力企業のスポンサーを得てF1にたどり着いた。そしてその庇護がなくなると、ほどなく去っていく例が多かった。しかし今の角田を、「ホンダドライバー」というレッテルの上から見るF1関係者はほとんどいないはずだ。

 一方で、もし角田が再来年2026年にアストンマーティンに移籍できたとしたら、ホンダの影響力はゼロとは言えないだろう。しかしそれ以前にチーム側の大前提として、一人のレーシングドライバーとしての角田への高い評価があることも間違いない。

 歴代日本人ドライバーたちがなし得なかったそれだけの地位を、角田はF1で獲得した。そして今も成長し続けているということだ。

(文中敬称略)

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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