9人の日本人選手とプレーしたドジャースのベテラン左腕 イチローのストイックな姿勢には「驚きの連続」
これまでに計9人の日本人選手と同じチームで戦ったパクストンに、当時の思い出を振り返ってもらった 【Photo by Luke Hales/Getty Images】
ただ、このシーンを覚えている人は多い。マリナーズ時代の2018年4月、ツインズのホーム開幕戦で先発。試合前、彼が外野でウォーミングアップをしているときに国歌斉唱を含むオープニングセレモニーが始まった。
米国の国鳥である白頭鷲が放れたのはその一環で、国歌に合わせてフィールド上空を旋回し、トレーナーのもとに戻るという予定だった。ところが、なんとパクストンの近くに飛び降りた白頭鷲は、次にパクストンの右肩に乗ろうと試みたのである。
捕まるところがなく、滑り降りたタイミングでトレーナーが駆けつけたが、パクストンがあまりにも大きいので木と間違えたんじゃないかと後で笑い話となり、彼の存在が全米に広まるきっかけになった。
当時、「迫ってきたときはどうしたらいいか分からなくて、トレーナーと間違えたのかなと思った」と話したパクストン。「できるだけ、冷静になろうと思った」そうだが、彼は普段から冷静そのもの。
マウンド上でも感情を露わにすることはなく、淡々と投げる。クラブハウスなどでも寡黙な方だが、話し始めると決してそうでもない。
今季ここまで7勝1敗、防御率3.65のパクストンは、10年を超えるキャリアで、多くの日本人選手とプレーしている。今回、その交流の一端を振り返ってもらった。
一緒にプレーした日本人は?
それはただ、パクストンの勝利を祝して、というわけではなく、誰かの誕生日でもなかった。種明かししたのは、デーブ・ロバーツ監督である。
「パクストンのメジャーリーグ在籍が明日、10年の節目を迎える。そのお祝いだ」
メジャーリーグ在籍10年。選手会の資料によれば、このマイルストーンに達した選手は過去、10%に満たない。よってパクストンも「大きな節目」と感慨深げだった。
「自分のキャリアはここまで決してスムーズじゃなかった。多くのケガをしてきたからね。でもその度に復帰することができたし、同時に成長もできた。そしてこのメジャーリーグの世界でプレーし続けることができたわけだから」
選手にとって、年金も満額もらえる10年は、キャリアのゴールのひとつ。
「みんなメジャーリーグに昇格すると、10年はプレーしたいねと話すんだ。その時はすごい先のことのように感じるけど、そこにたどり着いた。だからすごく特別な瞬間だった」
2010年のドラフトでマリナーズに指名されたパクストンの初昇格は3年後の9月。よってメジャーではイチローさんとプレーする機会はなかったが、12年のキャンプでは一緒だった。12年にマリナーズと契約した岩隈久志さんとは、17年までともに先発の一角を担い、16年には青木宣親(ヤクルト)が、マリナーズに加わり、ともに戦った。
ここまでがキャリア前半で接点を持った日本人選手だが、意外な選手の名前が出てこなかった。
「シアトルで確かもう一人…すごい面白いやつがいたんだけどなぁ」とパクストン。
「はっきりと彼の顔が浮かぶのに」
それは川﨑宗則(栃木ゴールデンブレーブス)のことだったが、厳密に言えば、接点は12年のキャンプだけなので、無理もない。
2018年11月、パクストンはヤンキースにトレードされ、19年と20年は田中将大(楽天)と一緒にプレー。ただ、最初は名前が出てこなくて、「どうして彼の名前が漏れたんだろう」と苦笑しながら首を傾げている。
21年にマリナーズに復帰し、菊池雄星(ブルージェイズ)とチームメートとなる。ただ、パクストンは最初の先発で左肘に違和感を覚え、検査の結果、トミー・ジョン手術をすることとなった。よって交流は少ないが、「菊池とは真っすぐの話をしたのを覚えている」と振り返った。「いかに凄いかを伝えたんだ」。
その年のオフ、パクストンはレッドソックスと契約するも、22年はトミー・ジョン手術のリハビリのため、メジャーでの登板記録はない。翌23年に復活し、このときレッドソックスに加入したのが吉田正尚だった。
今季、ドジャースに移籍。やはりドジャースと契約した大谷、山本と同じユニホームを着ることとなったわけだが、10年のキャリアで計9人ということになる。
「僕は思ったより多くの日本人選手とプレーしたんだね」
パクストンは驚いているようだった。