長い低迷を経て、名門マクラーレンがついに復活か

柴田久仁夫

健闘を称え合う笑顔の陰で、マックス・フェルスタッペン(右)の心中は穏やかではなさそうだ 【(C)redbull】

ついに王者に追いついた?

 名門マクラーレンが、鮮やかな復活を遂げつつある。

 5月上旬のF1第6戦マイアミGPで、ランド・ノリスがキャリア初優勝。チームにとっても2021年イタリアGP以来3年ぶりの勝利を挙げた。さらに2週間後のエミリアロマーニャGPでは、再びノリスが2位表彰台。王者マックス・フェルスタッペンを0.7秒差まで追い詰める、堂々たる優勝争いを繰り広げた。

 ここ2年のF1は、レッドブルとフェルスタッペンの独走状態が続いていた。2022年は22戦中17勝(うちフェルスタッペンは15勝)、2023年になると22戦21勝(うちフェルスタッペンは19勝)と、文字通り手の付けられない強さでライバルたちを圧倒し、ドライバー、コンストラクターズの両タイトルを独占した。

 今季も序盤7戦を終えてフェルスタッペンが5勝し、選手権トップの座を譲らない。その結果だけ見れば、レッドブルの優位は揺るがないように思える。しかし去年までと大きく違うのが、ライバルたちとの実力差だ。今季のレッドブルは、必ずしもぶっちぎりの強さで勝てなくなっているのだ。

 その象徴とも言えたのが、この2戦でのレッドブルvs.マクラーレンの戦いだった。

 マイアミでのノリスの初優勝は、絶妙なタイミングのセイフティカー導入のおかげで首位を奪えたのが大きな勝因だった。しかし去年までのレッドブルならそのあとすぐにマクラーレンに追いつき、難なく抜き返していただろう。それがマイアミでは最後まで差を縮められず、2位に甘んじた。

 エミリアロマーニャは、そんな僅差の戦いがさらに顕著となった。予選ではフェルスタッペンが開幕以来7戦連続となるポールポジションを獲得したが、2番手だったノリスのチームメイト、オスカー・ピアストリとの差は0.074秒しかなかった。

 そして上述したように決勝レースでは、ノリスが0.7秒差まで追い詰めての2位表彰台。フェルスタッペンが今季ここまで挙げた4勝がすべて2位以下に10秒以上の大差をつけていたことを思えば(開幕戦バーレーンGPは22秒だった)、優勝戦線に大きな変化が起きていることは間違いない。

 レッドブルとフェルスタッペンが、これまでのように簡単に勝てなくなっている。躍進著しいマクラーレンが、彼らの前に立ちはだかりつつあるのだ。

暗黒時代を乗り越えて

2017年当時のフェルナンド・アロンソ。マクラーレンとホンダへの期待が大きかった分、落胆の大きさも尋常ではなかった 【柴田久仁夫】

 熱心なF1ファンならずとも、マクラーレンという名前に聞き覚えがある人は少なくないだろう。あるいはかつてF1に夢中だった40、50代の人々は、懐かしさを感じるかもしれない。1980年代から90年代にかけてのマクラーレンは、アイルトン・セナとアラン・プロストが激しいチームメイトバトルを繰り広げ、ホンダとともにタイトルを独占した名門チームだった。

 その後もマクラーレンはミカ・ハッキネン、ルイス・ハミルトンの二人の世界チャンピオンを輩出する。しかし2008年を最後にタイトルから遠ざかり、長い低迷期に突入する。

 かつての成功体験が忘れられず、再びホンダと組んだ2015年からの3年間は、その中でも極めつけの暗黒期だった。フェルナンド・アロンソ、ジェンソン・バトンという二人の世界チャンピオンを擁しながら、優勝どころか表彰台にも一度も上がれず。チームのワースト記録ばかりが、次々に更新された。

 当時のホンダ製パワーユニットが、戦闘力も信頼性も劣っていたことは確かだ。一方でマクラーレン側も、上層部が醜い権力闘争に明け暮れ、まともな車体開発もできない組織になっていた。

 それでも2019年、世界耐久選手権でポルシェ3連覇の偉業を達成したアンドレアス・ザイドルがチーム代表に就任すると、最新鋭の風洞建設などに着手。もともと技術部門の層は厚いこともあって、成績も翌年以降少しずつ上がり、選手権3位の座をフェラーリと争うまでになった。

 しかしF1にグランドエフェクトカーが導入された2022年以降は、明らかにマシン開発に失敗。レッドブル、フェラーリ、メルセデスの3強との差は大きく広がり、アルピーヌ、アストンマーチンとの4、5位争いに追われることになる。

 去年までのマクラーレンは、時に速さは見せるものの、あくまで中団グループに位置するチームでしかなかった。その間にはザイドル代表が、2026年からアウディとして再出発するザウバーに突如移籍する事件も起きた。

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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