名古屋ダイヤモンドドルフィンズの齋藤拓実が4月・5月の月間MVPに…日本人の受賞は今季初
逆転での西地区優勝に貢献した齋藤拓実 【提供:名古屋ダイヤモンドドルフィンズ】
齋藤選手は172センチ69キロのポイントガードで、名古屋Dに加入して4シーズン目の28歳。4月・5月のレギュラーシーズン12試合は平均14.4得点6.8アシストを記録し、4月10日の琉球ゴールデンキングス戦と4月19日の島根スサノオマジック戦は得点とアシストの“ダブルダブル”を達成した。
チームも4月・5月の12試合を「10勝2敗」という見事な戦績で乗りきり、レギュラーシーズン最終戦で西地区優勝を決める劇的な締めくくりとなった。そんなチームを司令塔、得点源、何よりリーダーとして引っ張ったのが齋藤だった。
名古屋Dは「日本生命 B.LEAGUE CHAMPIONSHIP 2023-24」のクォーターファイナルでシーホース三河を下したものの、セミファイナルは第3戦までもつれ込む激闘の末に広島ドラゴンフライズに敗れてしまった。しかしチームにとって初の西地区制覇と、そこに至るプロセスは称賛に値する。今回は終盤の追い上げ、チームと自らの成長について、齋藤選手に語ってもらった。(※インタビューはセミファイナル第1戦・前々日の5月16日に実施)
最終戦の末、西地区優勝をつかみ取る
4月・5月は1試合平均14.4得点6.8アシストとオフェンスをけん引 【(C)B.LEAGUE】
何度か候補には選んでいただきましたが、実際に「最後の1人」として選ばれることはありませんでした。だから率直にうれしいです。自分のプレーを評価していただいた部分もあると思いますが、チームが4月・5月に逆転で西地区優勝を決めた部分の評価が大きかったはずです。自分1人の力ではできなかったことなので、チームメートに感謝したいです。
――名古屋Dは4月・5月の12試合を10勝2敗の好成績で終えました。琉球ゴールデンキングスを逆転して西地区1位に浮上した、チームにとってものすごく大切な終盤戦でした。
4月に入った段階では地区優勝だけでなく、チャンピオンシップも地区2位、ワイルドカードを問わず出られるかわからない状態でした。最後の島根スサノオマジック戦(4月19日・20日)、琉球戦(4月27日・28日)といった、西地区上位との直接対決が大きかったです。島根戦へ入る前にファイティングイーグルス名古屋(4月14日)、大阪エヴェッサ(4月17日)と連敗してしまいました。直後にしっかりミーティングをして、立て直せたことがすごく大きかったです。島根戦からは自分たちの確固たる戦い方を、チームとして見つけられた気がしています。そこから負けずにチャンピオンシップに出場して、リーグ戦の締めくくり方としては最高の形でした。
――「確固たる戦い方」をもう少し言葉にしていただくと、どういうことですか?
ディフェンスもオフェンスも、自分たちはやはりアップテンポなバスケットボールをプレーしたい。そのなかでどういったディフェンスをするべきなのか、どういったオフェンスをするべきか、どこにフォーカスしなければいけないのかを、(島根戦の前に)チームでよく話し合えました。島根戦からはディフェンス、オフェンスともに、自分たちらしさを出せたのが大きなポイントだったと思います。
――2023-24シーズンを開幕から振り返ると、名古屋Dにとっては激動のシーズンだったと思います。負傷による外国籍選手の出入りがかなりあり、また巨漢センターのジョシュア・スミス選手がチームに加わっていました。シーズンをとおして、チームのケミストリーはどう深まっていったのですか?
アップテンポなバスケットとは、タイプが逆のジョシュア・スミス選手が加入しました。ただ彼の強さ、ストロングポイントも、しっかりチームとして武器にできていました。彼自身も努力をして、少しでもドルフィンズのバスケットにフィットするようにやってくれたと思います。
しかし彼がどうこうというよりも、シーズン序盤から、デニスHCに代わって最初の2年に比べてテンポが落ちてしまったり、自分たちのターンオーバーが多くて、相手のターンオーバーを誘い出せなかったり……。そういった部分で、チームとして「今までどういう戦い方をしていたか」を少し見失ってしまう時期が、何試合か訪れる状況が何度かありました。それを乗り越えたからこそ、シーズン終盤に粘り強さ、我慢強さを発揮できました。「負けから修正して立ち直せている」という部分で、チームは成長できたのかなと思います。
――インサイドにスミス選手が入った時、ほかの選手が入った時で、ポイントガードとしての組み立てが変わると思います。その切り替えは決して簡単なことではないですよね?
確かに彼が入った時と入っていない時のボールムーブメントが、スムーズにいかなかったりしました。スコット・エサトン選手は3シーズン目ですけど、ティム・ソアレス選手とロバート・フランクス選手は加入初年度ということもあって、やはりボールがスムーズに動かない傾向がありました。そこをどうするべきなのか、たぶんコーチも考えていましたし、僕自身も考えて、チームで共有しながらやってはいました。
ディフェンスでプレッシャーを激しくかけるチームが増えていくなかで、ビッグマンとハンドラーの「あうんの呼吸」がうまく合っていない時期が長かったです。スペーシングの話とか、ジョシュが出ている時と出ていない時で「それぞれこうしていこう」という話は、ポイントガードとして何度も話しました。
――4月・5月はそこが良くなっていた時期ということですね?
年明け、オールスター明けくらいから、自分たちらしさが徐々に出始めていたと思います。スペーシングや「こうしていこう」という部分がハマったのは、本当にもう最後の時期だったと思います。
――4月・5月のレギュラーシーズンにおいて齋藤選手は1試合平均14.4得点6.8アシストを記録しました。3ポイントシュートの成功率も47パーセントと抜群でした。ご自身のプレーはどうでしたか?
自分自身のプレーを振り返った時に、個人として「自分に対する責任感」を少し強く持つようになりました。今シーズンに限らず、デニスHCになってからもそうですけど、ここ数年でチームへの考え方が変わってきています。それが4月・5月のスタッツにも現れてきているのかなと感じます。
――ポイントガードとして周りをリードする立場ではあると思いますが、「自分が決める」という感覚ですか?
今までエゴの弱さが少しありました。「お前がもっと攻めていい」と声をかけてくれる仲間もいましたが、自分がまず攻めて、相手を縮めさせることが大切です。よく言うのはアシストばかり狙っているとディフェンスもしやすいということで、自分が点数を取れないとディフェンスは引き寄せられません。もちろん単純な話ではないのですが、「自分が何とかしなければいけない」という覚悟が現れたシーズンだったなと感じます。