「主役VAR時代」の到来? サッカー審判の「コモンセンス」を考える

川端暁彦

「レッドカードの疑い」。そう告げられた主審はモニターへ走る。プロサッカーの世界で、もはや日常の光景だ 【AFC】

判定基準が違うのは当たり前?

 試合とほぼ同数の赤い紙が乱れ飛ぶ。退場者が出ずに11対11で最後まで戦った試合がレアケース。未来のサッカーがそこにある――とはあまり思いたくはなかった。

 日本の優勝という形で現地時間5月3日に幕を閉じたAFC U23アジアカップ。大会の主役は優勝した日本であり、地力を見せ付けて初出場の切符をつかんだウズベキスタンであり、あるいは大躍進を遂げたインドネシアだった。ただ、大会を通して話題になり続けたのが、レフェリーだった。善くも悪くも、この大会の「主役」の一角を彼らが担ってしまったのは否めない。

 VAR(ビデオ・アシスタント・レフェリー)のシステムがアジアの大会でも導入されてしばらく経つが、どうにもアジア的な大らかさとVARの厳密さは相性がよくない。

 そもそも、サッカーのレフェリングは「文化」である。明文化された「ルール」は非常にシンプルで短いもので、解釈の余地は大きい。それぞれの国やリーグによって時間と世代を重ねて形成された常識的感覚「コモンセンス」はあり、いわゆる「判定基準」が形成される。

 平たく言えば、例えば接触プレーはどこまでOKかについては割とファジーな基準なので、国や地域によってその「コモンセンスは違ってくる」ということだ。

 先日YouTubeにて配信された『Jリーグ審判レポート「審判の舞台裏 #2」』では、イングランドからやって来た審判員がJリーグで笛を吹いた感想を語っていた興味深い内容なのだが、そこでもハッキリと「日本とはファウルの基準が違う」ことが述べられている。

 これ自体は特異なことではなく、実際に彼はJリーグの基準に沿う形で笛を吹いている。これが例えばアルゼンチンになれば、あるいは米国のメジャーリーグサッカーになれば、そこでもまた笛の基準は違ってくる。別に違う条文のルールが採用されているわけではない。運用なり解釈なりが違うのだ。それがサッカーというスポーツである、とも言える。

 かつて「日本人審判員も国際大会になると笛の基準を変えるのは当たり前だ」と国際主審の方から言われたときに最初は驚いたが、両チームの選手も観衆も「違う基準」を「当たり前」にしている環境になれば、そこに合わせるのも審判員のスキルであり、また常識でもあるというわけだ。

「主役はVAR」だったアジアの戦い

集まった記者を前に個々の判定やルールについての解説を行う佐藤隆治JFA審判マネージャー 【撮影:川端暁彦】

 雑多な文化が混在する広汎なエリアにまたがるアジアはこの点でも難しく、判定のバラつき感はかなり大きかった。VARによってそれが統一的になる――という希望的観測もあったが、実態はギャップのある形で統一された感もある。

 そもそもVARは「明白な誤り」に対して介入するものと定められているが、先のAFC U23アジアカップにおいては明白とまでは言えない事例に介入する例が頻出。それに伴う中断も増えてアディショナルタイムも伸びに伸び、またそのVARを意識して選手側の「アピール合戦」も加速化。痛みを過剰に訴えて「強い力で当たった」ことをカメラの先にいるVARに主張し、ペナルティエリアに入れば少しの接触でも大袈裟に倒れてPKをアピール。そして「接触した」という「事実」に基づいてVARが介入して実際にPKを与える、あるいはレッドカードを提示するケースも出たことで、そうした傾向はさらに強まっていった。

 元よりアジアでそういう振る舞いは付きものだったが、「明らかにVARでそうした傾向が強くなった」(山本昌邦ナショナルチームダイレクター)のも確かだ。結果として、ノックアウトステージで退場者が出なかった試合のほうが少ないという異例の事態も生まれることとなった。

 ただ、これをもって個別のレッドカードが不当なものだったかというと必ずしもそうではない。そもそもアジアは大らかなレフェリングが主流で、ラフプレーにはむしろ寛容な(個人的にはあまり好きではない)コモンセンスがあったことの裏返しでもあったように思う。厳密、厳格にファウルを取られ、レッドカードを提示されるような環境で育っていないアジアの選手たちが、いざVARでの監視下に置かれ、厳密な判定を受ければこうなってしまうという結果がレッドカード乱発の大会を生み出したという一面もあるように思う。

 プレーヤー側としてはそうしたVARの傾向にも対応していくしかないのは大前提なのだが、「これでいいのか」と思ったのも事実である。5月9日に行われた日本サッカー協会(JFA)審判委員会のメディアブリーフィングで、実際にこの大会にAFC審判インストラクターとして参加した佐藤隆治JFA審判マネジャーにこの点を聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

「やっぱりVARがものすごく主役になってきているのが今のサッカーだという印象はあります。1月のアジアカップもそうでしたし、U-23の試合はもっとそれが顕著に表れていました。ただ、VARが何回も何回も介入して、それによってアディショナルタイムが26分という試合もありました。それはやっぱり、なかなか受け入れられないし、少なくともアセッサー(審判の指導者)である僕は受け入れられない」

 個別的な判定について問題視したいわけではない。ただ、VAR導入の目的は「サッカーを守るため」(佐藤マネージャー)だったはず。それがサッカーの魅力を壊す結果になったのでは本末転倒なわけで、莫大な費用をかけて実施されているVARによって、試合の価値が毀損(きそん)されたというのでは本当に話にならない。

 そのために佐藤マネージャーが「まずオン・フィールド・デシジョン(現場での判定)の精度を上げること」を大前提として挙げたのは、審判サイドとしての考え方としては非常に健全だろう。そもそも「明白な誤り」を審判が冒す頻度を減らすことが「VARありき」ではない試合にしていくことにもつながるからだ。

 ただ、AFCに関しては、そもそもの「明白な誤り」の基準からしてぶっ飛んでいたようにも思うので、ここは日本の審判委員会からも働きかけて、よりまっとうなアジア圏における「VAR時代のコモンセンス」が良い方向で成立してほしいとも思うところだ。

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著者プロフィール

1979年8月7日生まれ。大分県中津市出身。フリーライターとして取材活動を始め、2004年10月に創刊したサッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』の創刊事業に参画。創刊後は同紙の記者、編集者として活動し、2010年からは3年にわたって編集長を務めた。2013年8月からフリーランスとしての活動を再開。古巣の『エル・ゴラッソ』をはじめ、『スポーツナビ』『サッカーキング』『フットボリスタ』『サッカークリニック』『GOAL』など各種媒体にライターとして寄稿するほか、フリーの編集者としての活動も行っている。近著に『2050年W杯 日本代表優勝プラン』(ソル・メディア)がある

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