「主役VAR時代」の到来? サッカー審判の「コモンセンス」を考える
基準のギャップが生む困難さ
大前提として、激しく速くぶつかり合う選手たちの攻防を肉眼で見極めるのはそもそも容易ではない 【Photo by Masashi Hara/Getty Images】
たとえば日本では負傷につながるようなラフな接触プレーに対して厳しく笛を吹く伝統があり、逆に直接的に負傷につながりにくい手を使ったファウルには寛容な気風がある。これは審判員がほとんど教職員だった(今も主流はそうである)こともあり、学校現場の考え方として「けが人を出さない」ことが重視されていた背景もあるのだろう。
ただ、世界的なスタンダードでは手を使ったファウルこそむしろ「フットボール」に反する行為なのでこちらを厳しく取り、体のぶつかり合いに関しては(日本基準からすると)寛容な傾向がある。
このため、日本の選手が国際試合で手を使ったファウルを取られまくって苦戦し、日本ではファウルになるフィジカルコンタクトを受けてこれまた苦闘を余儀なくされるという現象が生じていた。
2001年のU-17世界選手権に出場したU-17日本代表の田嶋幸三監督(当時)がこの点を問題視した発信をしていたくらいだから、かなり息の長い課題である。いまもこうした傾向は少なからず残っているとは思うが、「ギャップを埋めよう」という試みが継続的に行われた結果、育成年代はともかくJリーグに関しては、かなりの変化があったとも感じている。手を使うファウルに関しては育成年代に関してはまだまだ寛容すぎるとも思うが、Jリーグはかなりの変化がある。
この「フットボールではない」ファウルに厳しいのが世界的な(あるいは英国的な)コモンセンスであるという点を端的に示すのが、PK判定において導入された「三重罰軽減」のルールである。
かつてディフェンス側の選手がペナルティエリア内で相手選手を倒した場合、それが決定的な得点機会阻止なら「PK+レッドカード(及びそれに付随する出場停止)という三重罰」、それに準じる大きなチャンス阻止だと「PK+イエローカード」の罰則になっていた。これだと罰則が重すぎるということで、カードの基準を一段引き下げたのが現行ルールだ。
ペナルティエリアの外で決定機を阻止すればレッドカードになるケースでも、PKとセットならばイエローカードに軽減される、という原則である。ただし、「手を使ったファウル」には適用されない。これはまさに、手を使うファウルは「フットボールではない」からだ。
逆に懸命にボールへ向かったタックルなどが相手の足へ引っかかったケースなどは軽減の対象だ。日本人には「足を伸ばすほうが危ないじゃないか」という感覚になりがちだが、そういう話ではないのである。もちろん、得点機会・チャンス阻止によるカードではなく、純粋な暴力行為、ラフプレーによるPKなどにこの軽減ルールは適用されない。
9日のブリーフィングではこの点についてあらためて佐藤マネージャーから説明があり、J1第8節の東京VとFC東京の試合、そして同節のG大阪と鳥栖の試合について、提示するカードの段階を下げるべきだったという見解が示された。後者についてはVARの介入で当初PKだったのがFKに変更になったため、結果的にレッドカードの判定が正しくなっているというややこしさもあるのだが、この点についてもわかりやすい説明があった。
ブリーフィングの存在価値
複雑怪奇な珍事となった判定を分解して解説する佐藤JFA審判マネージャー 【撮影:川端暁彦】
要するに、ルールに無知・無理解なメディア関係者が多いと困るので少しでも啓蒙しましょうというのがそもそもの理由だとは思う。ただ、単純にルールについて知ることはもちろん、条文には明示されていない「Jリーグ審判のコモンセンス」を把握することもできるし、審判側の理念や努力、目指す方向性について知ることができるのも確かなメリットだ。
今回のブリーフィングで恐らく最もホットなトピックは、第10節の神戸と京都の試合で起きた「VARダブル介入による判定二転事件」という珍事なのだが、これについてもVARと主審の間での実際の交信内容について触れながら「どうしてこうなった」についてしっかりとした解説があり、また改善策を全VAR担当者に周知した旨の説明もあった。
これは主審が神戸のゴールインを認めた当初、京都側のハンドがあったことをすでに認識しており、その反則を(ゴールが決まったために)流していたのをVARが把握せず、オフサイドの判定のみに集中した結果起こったインシデント。このため、一度はオフサイドの判定でゴールを覆し、その後に京都のハンドを取ってもう一度覆してPKになるという、観衆からすると意味不明な状況を生じさせてしまっていた。
佐藤マネージャーはシンプルに「オフサイドで取り消す前にちゃんと確認をするべきだった」とコミュニケーション不足を指摘。結局、一連の流れで9分の時間を要したことと合わせ、最終的な判定自体は正しいとしつつも、この過程では受け入れられづらいと反省を述べた。
VAR判定にかかる時間の短縮を目指す中で起きたインシデントにも思えるので、「あちらを立てればこちらが立たず」になりがちなVAR運用の難しさを示唆する事例でもある。ただ、現代の審判がどういった課題に向き合っているかを示すこと自体の価値もあらためて感じた。
他競技の取材者に「サッカーではこういうことを定期的にやっているよ」と話して驚かれた経験もあるが、「レフェリーの判定」がウェブ化の進んだメディアのアクセス稼ぎの便利な手段になっている現状を考えても、こうした場がある意義はやはり大きいと感じる。
「コモンセンス」を重んじるサッカーの文化だからこそ、あらためてこうした審判サイドとの対話の機会は大切にしてほしいと思っている。