ハミルトンが25年に電撃移籍 スクーデリア・フェラーリが皆を魅きつけるわけ
ハミルトンはフェラーリ加入に関して「すべてのドライバーが”あの赤色に包まれたコクピットに座ったら、どんな気分になるのだろう”と夢みるはずだ」と語っている。 【MercedesAMG】
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フェラーリ抜きでは成り立たない
なにしろF1世界選手権が1950年に創設されて以来、フェラーリF1は今も活動を続ける唯一のチームである。当時から車体とエンジンを一貫して内製するフルコンストラクターであり、16回のタイトル獲得数、243勝の勝利数は、ダントツ首位だ(2位はそれぞれ、ウイリアムズ9回、マクラーレン183勝)。
一方でそんな数字上での強さ以上に、真紅の跳ね馬には他のF1チームからは感じられない独特のオーラがある。それはアスカリやファンジオ、サーティース、ラウダ、シューマッハーなど、錚々たるチャンピオンたちが作り上げた伝統なのか。あるいはコリンズ、フォン・トリップス、ジル・ビルヌーブら、事故死したフェラーリドライバーたちの血塗られた記憶なのか。
さらにいえば世界中の自動車メーカーの中で、『F1に参戦するために市販車を作っている』のはフェラーリだけである(かつてのロータスも、それに近い存在だったが)。そしてF1はフェラーリの長年の功績に報いるために、通常の分配金以外に数10億円単位の『ヒストリックボーナス』を今も支給していると言われる。
まさに『フェラーリあってのF1』であり、『F1あってのフェラーリ』ということだ。
3月末のオーストラリアGPでは、サインツとルクレールがワン・ツーフィニッシュを飾った。これは2022年の開幕戦以来の快挙。ふたりともタイトル獲得経験はないが、レッドブル一強時代に割って入れるポテンシャルを秘めている。 【Ferrari】
「フェラーリにこそタイヤ供給を!」
さらに2012年には当時のルカ・ディ・モンテゼモロ会長から直々に招聘され、フェラーリのタイヤエンジニアを務めた。そんな浜島氏が、『フェラーリの特別さ』を痛感させられたのは、ブリヂストンのF1参戦2年目、1998年のことだったという。
「ドイツGPの舞台、ホッケンハイムに行った時のことです。この年から僕らはマクラーレンにタイヤを供給し、ミカ・ハッキネンはフェラーリのミハエル・シューマッハーと激しい優勝争いを繰り広げていました」
「そしたらサーキットで、フェラーリのTシャツを着たドイツ人ファンたちに囲まれてしまったんです。マクラーレンも、メルセデスがパートナーですからね。少しは応援してくれるのかと思ったら、全然違いました」
この時は冷たい視線を投げられただけで済んだが、フェラーリの地元モンツァでは激しいブーイングを浴びせられたという。
「もちろんF1に来る前から、フェラーリの存在は知ってました。でもここまでフェラーリを熱く応援する人たちがいるのは想定外でした。ああ、フェラーリはF1の中心なんだ。このチームにこそ、タイヤを供給しなければと思いましたね」
こうして2001年以降のブリヂストンは、実質的にフェラーリのワークスタイヤとなる。ミシュランと激しいタイヤ戦争を繰り広げつつ、浜島氏の率いるブリヂストンはフェラーリとともに黄金時代を築いたのだった。