ぶっつけ本番サウジGPで7位入賞の鮮烈F1デビュー イギリスはなぜベアマンのような才能を生み出せるのか

柴田久仁夫

まだあどけなささえ残る、2005年生まれのオリバー・ベアマン 【Scuderia Ferrari】

 レース直後のオリバー・ベアマンは、疲労困憊だった。

「コクピットからなかなか出られず、最後はルイス(・ハミルトン/メルセデス)にほとんど引き摺り出してもらった」

 無理もない。18歳のF2ドライバーにとって、1時間21分、308kmの長丁場を走り切ったのは初めての経験だ。ましてフェラーリから、カルロス・サインツの代役でサウジアラビアGPに出場しろと指示が来たのは前日の朝。練習走行は、わずか1時間。それでも2時間後の予選では、チームメイトのシャルル・ルクレールにコンマ6秒落ちまで迫った。

 ベアマンのF1デビューの舞台となったジェッダ市街地サーキットは、コンクリートフェンスと金網に囲まれた1周6km余りを最高時速320kmで駆け抜ける。少しのミスも許されない、全24戦の中でも屈指の難コースである。

 この週末もベテランのランス・ストロールが左前輪と壁との目測を数ミリ見誤り、ウォールに激突した。一方、11番グリッドからスタートしたベアマンは先行するマシンを1台ずつ攻略しつつ、ノーミスの走りで7位入賞の鮮烈デビューをやってのけた。

「4G(体重の4倍)以上のコーナリング荷重がかかり続ける中、チェッカーまでの50周を毎ラップ予選アタックのように攻め続けたよ」

F1フル参戦の可能性は?

レースでは果敢さとミスのない走りをきっちり両立させ、7位入賞を果たした 【Scuderia Ferrari】

 ふらつきながらコクピットから出たベアマンを、ハミルトンが強く抱きしめた。7度の世界チャンピオン、今年39歳のハミルトンが21歳でF1デビューした時、彼はまだ1歳の幼児だった。それが今、モータースポーツの頂点カテゴリーで、こうして互角に渡り合う。

 二人は予選から、激しい戦いを繰り広げた。もしベアマンがあと100分の36秒速ければ、ハミルトンは11番手に転落。Q2落ちを喫するところだった。レースでは逆に、ハミルトンが終盤追い上げる展開。最後は4.6秒差まで迫ったものの、逆転は叶わなかった。

「僕が18歳の時は、確かまだF3にいたかな。とにかくF1を戦う準備など、とうていできていなかった。とにかく彼は素晴らしいよ」

 新たな才能の出現が、ハミルトンは素直に嬉しかったに違いない。

 しかしベアマンがF1を走る姿は、今後しばらく見られそうにない。今回の出場はあくまで、レースドライバーのサインツが虫垂炎で欠場したことによる代役だった。手術を無事に終えたサインツは、次戦オーストラリアGPから問題なく復帰の見込みだ。

 では来シーズン以降、F1フル参戦の可能性はないのか。ここで障害になりそうなのが、ベアマンがフェラーリの育成ドライバーであることだ。F1に昇格するとなれば、フェラーリか、その系列チームというべきハースからの参戦ということになる。

 しかし来季のフェラーリはルクレールと、メルセデスから移籍するハミルトンが確定している。ハースにしても、ニコ・ヒュルケンベルグとケビン・マグヌッセンのベテランコンビに満足しており、無理に変える理由はない。

 とはいえ今回のサウジでベアマンが見せた適応力、純粋な速さ、ミスのない走り、冷静沈着さなど、この世界でいわゆる「ドライバー力」と呼ばれる彼の高い能力に、無関心でいられるチームはあるまい。現行ドライバーとの契約を打ち切ってまで、ベアマン獲得に出るチームが出てきても不思議ではない。

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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