神宮Vの星稜エース・佐宗が目指すのは全国制覇のみ 背番号1の偉大な先輩のように、「強さ」に磨きをかける

沢井史

32年ぶりとなる神宮制覇の原動力となった星稜のエース、佐宗翼。センバツで目指すのはもちろん、悲願の全国制覇だ 【写真は共同】

 星稜のエース・佐宗翼(2年)は、1年夏に甲子園のマウンドをすでに経験するなど名門のマウンドを守り続けてきた。今春はエースとして3度目の大舞台に臨む。昨秋は公式戦9試合に登板し、高い制球力でチームを明治神宮大会優勝まで押し上げた。甲子園でももちろん、悲願の全国優勝に向け最後まで腕を振り続ける。

甲子園では2度登板するも、まだ勝利はなし

 昨秋の明治神宮大会では32年ぶり優勝の立役者となったエースは、とにかくどんな状況でも表情を崩さない。昨秋もマウンドでも場面ごとに一喜一憂せず、黙々と腕を振り続けてきた。

 ストレートの最速は143キロ。キレのあるスライダーを武器に三振を奪える本格派左腕で、昨秋は公式戦9試合に登板し3試合を完投。50イニングで49個の三振をマークし、相手打線を寄せ付けない切れ味抜群の投球を見せた。

 勝てばセンバツ当確ランプが灯る北信越大会の準決勝では、北陸打線を相手に4回から7者連続を含む計10個の三振を奪い、1失点完投勝ち。ここ一番で本領を発揮してきた。

 “神宮大会王者”。センバツではこう注目を浴びることにもなるが、そのことに関して質問を向けると佐宗は慎重な面持ちでこう口にした。

「今でも自分は優勝した実感がないんです。結果としては最後まで勝ち切れても自分では思い残すところがたくさんあって、優勝した瞬間も素直に喜べませんでした。決勝は1失点で完投できましたが、(6回に)打たれたのは高めに抜けたスライダーでした。勝てたのは打って点を取ってくれた野手のお陰ですし、自分にとっては悔しさの残った決勝戦でした」

 星稜中3年の時に春、夏の全国優勝を経験した。星稜高校に入学後も、1年夏に甲子園のマウンドを経験。昨夏の甲子園も初戦で2回一死満塁のピンチからマウンドに上がった。

「(前年夏に比べて)ブラスバンドの応援があって観客の数も多くて、どこを見ても観客がいる中で投げるのは落ち着けなかったです。自分はピンチから(一死満塁)の登板で、四球でもヒットでも1点が入ってしまう。結局3点を取られてしまったんですけど、そういう甘さはなくしていかないといけないと思いました」

 愛工大名電に2-14で敗れた1年夏に続き、昨夏も甲子園では創成館を相手に、3-6と初戦で涙を飲んだ。帰郷後、佐宗の背番号は1番となり、最上級生の投手として責任を負う立場にもなった。

「自分が下級生だった時は、ピッチャーとしてマウンドに立った時に、(前エースだった)武内(涼太=現ロッテ)さんがマウンドを降りて外野やベンチに下がってもずっと声を掛けてくれました。自分もそういう声掛けや仲間を鼓舞できるようにしていくことを心掛けてきました」

奥川と武内の姿から求める「理想のピッチング」

 星稜の背番号1といえば、偉大な先輩がいる。19年の夏の甲子園で準優勝投手となった奥川恭伸(現ヤクルト)だ。奥川の姿は星稜中1年の夏に甲子園で5試合を現地で観戦した。当時の記憶は今でも鮮明に残っている。

「まず球場の盛り上がりや雰囲気に圧倒されましたし、ここで投げられるようになりたいと思いました。帰ってから奥川さんの試合の(録画した)映像を見返しましたが、球のキレがすごかったです。一番すごいのがコントロール。キャッチャーの構えたところにほぼ投げていて、球速も速いしスライダーの曲がり幅も大きい。自分はスライダーを武器にしているので、自分もあんなスライダーを投げられたらと思いました」
 
 ただ、佐宗は昨秋の公式戦を投げ抜いた中で、自信のストレートの威力の物足りなさを痛感したという。

「武内さんとは練習前によくキャッチボールをよくやっていたのですが、キャッチボールから武内さんは球の勢いがすごかった。(最速149キロ右腕の先輩を見て)自分もそんなストレートを投げたいと思ってきました。本当はストレートで押して、変化球でタイミングをずらせるようになりたいのですが、秋までの自分は変化球でずらせているだけでストレートが見せ球みたいになっているので、力のあるストレートをコースにしっかり投げ切れるようになることが一番の課題です。ストレートが強ければ他の変化球が良くなってくるので、そこはこだわっていきたいです」

 そんな中でも昨秋の佐宗のピッチングで光ったのはコントロールだ。昨秋の公式戦で記録した四死球はわずか9個と、抜群の安定感の源になっていた。

「新チームになってから、投手コーチの川口(貴信)さんとも四球をどれだけ減らせるか、1試合でなるべく出さないために3ボールになっても打たせに行くピッチングをしてきました」

 意識してきた部分で満足のいく数字があっても、手放しには喜ばない。今はとにかく出力を上げるための体力強化トレーニングなど、土台作りに余念がない。

 石川県では元旦に能登半島で大きな地震があった。その瞬間、金沢市内の自宅にいた佐宗は、自分の部屋の本棚の本や机の上のものが全て落ちるなどしたが、家には大きな被害はなかったという。だが、能登半島で大きな被害があったことに心を痛めた。

 この春は明治神宮大会優勝校としてだけでなく、被害の大きかった石川県の代表としても大きな注目を集めるだろう。その中心に立つエースは「注目に恥じないピッチングをしたいです」と決意を明かした。

 安定感にさらに磨きをかけ、今春はストレートでも押せるピッチングを―。

 名門のエース左腕は、悲願の日本一に向けさらにレベルアップした姿を3度目の大舞台で披露する。
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

大阪市在住。『報知高校野球』をはじめ『ホームラン』『ベースボールマガジン』などに寄稿。西日本、北信越を中心に取材活動を続けている。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント