中京大中京と東邦が創立100周年の記念試合 往年の名選手も多数登場、長年のライバルが称えあう
第1試合【OB戦】 中京OB 6-3 東邦OB
中京大中京と東邦のOBチーム。ユニフォームは記念試合用のオリジナルで、青色が中京大中京、緑色が東邦だ 【筆者撮影】
午前は両校のOBチームが対戦した。OBといっても、現役バリバリの大学生、社会人野球の選手たちだ。甲子園を沸かせた選手や、来年以降のドラフト指名を受けそうな逸材も多く名を連ねた。
勝ったのは中京OB。1点ビハインドの7回裏に4点を挙げ逆転し、6対3で勝利した。記念試合らしく中京OBは8投手、東邦OBは7投手が登板した。
中京OB先発として試合開始直後のマウンドに立った小椋健太(東邦ガス) 【筆者撮影】
「1年秋の県大会で先発して、9回表2死まで東邦打線を0点で抑えていたのに(1対0でリード)、そこから打たれて逆転負けしました。3年夏は準々決勝で当たり、先発して7回2死まで0点で抑えていたのに(7対0でコールド勝ち目前)、そこから6点取られました。3年夏はなんとか自分も粘り、逆転は許さずに投げ切れましたが…。両校はライバルとして高め合っていく仲だと思います」(小椋)
7回裏に決勝犠飛を放った中京OBの杉浦文哉(中京大3年) 【筆者撮影】
杉浦は“中京レジェンド”の孫にあたる。そのレジェンドとは、1966年に中京(当時は中京商)を甲子園春夏連覇に導いた監督・杉浦藤文氏(故人)だ。“トウブンさん”(藤文=ふじふみ氏の愛称)の孫が決勝打とは、100年の歴史を感じさせるドラマだ。
「自分でも奇跡だと思います。100周年の年に、自分が大学3年生で野球を続けていて、記念試合に出させてもらって……。チームに貢献できてむちゃくちゃ嬉しかったです。個人的には、伊藤寛士さん(JR東海/2015年夏・甲子園ベスト16の4番打者)と一緒にこの試合でプレーできて感動しました。自分が小学生のときに見に行っていたスーパースターです」(杉浦)
3回表に本塁生還しナインに迎えられる東邦OBの鈴木大輔(Honda鈴鹿) 【筆者撮影】
「実は今年限りで社会人野球を引退するので、この試合は自分の野球人生で本当に“最後の試合”でした。100周年記念試合でもあり、自分としても特別な一日になりました」(鈴木)
鈴木は高校3年夏(2014年)、甲子園に1番・ショートとして出場。初戦の日南学園戦で4安打を放った。チームも計20安打をマークし11対3で快勝。なお、このときの先発投手は、当時1年生の藤嶋健人(現中日)だった。
「甲子園で持てる力を出せたし、『打撃の東邦』を見せられたと思います。僕自身も元々、東邦のバッティングに憧れていました。藤嶋も、とんでもない(良い)球を持っているので、ドラゴンズでも一軍でプレーし続けて、これからもさらに必要とされる選手になっていってほしいです。テレビで応援しています」(同)
8回裏のマウンドで好投した東邦OBの瓜生開成(愛知東邦大2年) 【筆者撮影】
「チームメートが活躍する中で自分は何もできず、悔しくて毎日泣いていました。医師からは、ピッチャーとして復帰するのは難しいと言われていましたが、僕は1パーセントの可能性を信じていました」(瓜生)
高校卒業後、同じ東邦学園の愛知東邦大に進んだ。故障が癒えた今、大学野球でマウンドを経験し、素質が開花しつつある。身長185センチの身体をスムーズに使い、最速は146キロ。この日も最速144キロを計測した。記念試合を弾みに、来年の大ブレークに期待だ。
7回裏に決勝犠飛を放った杉浦を迎える中京OBナイン 【筆者撮影】
東邦OBの森田泰弘監督(東邦学園総監督)は「歴史を感じながら試合ができました。私自身は高校2年の夏に中京に負けたので、当時が思い出されました」とひとときのオールスター戦を堪能した様子だ。
また、中京OBの半田卓也監督(中京大監督)は、自身の父と叔父が東邦の野球部OBという“ねじれ現象”。「よく『裏切り者』と言われます(笑)」と冗談を交えつつ「中学生のときに、高橋源一郎さん(現在の中京大中京の監督)たちの世代がセンバツで準優勝したのを見て、中京に行きたいと思ったんです」と“改宗”の由来を話してくれた。