慶應義塾・丸田湊斗が語る「甲子園と人生」 中学でやめるはずだった野球でつかんだ日本一

大利実

107年ぶりの日本一を達成した慶應で、不動の一番打者を務めた丸田。単独インタビューで、激動の甲子園や今後の人生についてたっぷりと語ってくれた 【筆者撮影】

 2023年夏の甲子園において、107年ぶり2度目の日本一を成し遂げた神奈川・慶應義塾。不動の一番打者として、県大会で打率6割2分5厘、甲子園でも打率4割9厘のハイアベレージを残したのが丸田湊斗だ。大会後にはU-18侍ジャパンに選ばれ、W杯初優勝も経験した。さわやかなビジュアルにも注目が集まり、SNSでは「美白王子」として話題に上がることもあった。

 まもなく終わる2023年。夏の短期間で一気に全国区となった丸田は、この怒涛の1年をどのように受け止めているのか。野球のことから趣味のことまで、丸田の思考に迫った。

甲子園優勝は「思い出ぐらいに留めておきたい」

――夏の甲子園から4カ月が経とうとしていますが、改めて、甲子園はどんな舞台でしたか。

丸田 何か本当に夢みたいな場所で、自分のプレーも含めて、うまくできすぎたかなと思います。間違いなく、一生に残る思い出ですけど、思い出ぐらいに留めておきたいです。森林さん(森林貴彦監督)が「甲子園優勝を人生のピークにしないように」と言っていたように、これを超えるぐらいの思い出を作っていきたいです。大変な経験をしてしまったので、難しいですけど。

――バッティングが好調でしたが、「会心の1本」を挙げるとしたら。

丸田 北陸戦の第三打席のセンター前です。厳しめのアウトコースだったんですけど、自分のイメージどおりにめちゃくちゃキレイに打てたヒットでした。

――神奈川大会の決勝、横浜の杉山遙希投手(西武ドラフト3位)から打った左中間タイムリーを挙げるかと思っていました。

丸田 今、どっちにしようか迷いました。あれも本当にうまく打てて、第一打席に杉山のスライダーを引っかけてファーストゴロに終わっていたので、目線のぶれを少なくするために、最初からノーステップで臨みました。夏は2ストライクからノーステップで打っていたんですけど、はじめからノーステップで打ったのはあの打席が初めて。打席で余裕を持って、考えながら打てたことが良い結果につながったと思います。

――成功体験が大きすぎると、これから難しいことも出てくると思いますが、甲子園優勝を超える経験をするにはどんな心の持ちようが必要だと考えていますか。

丸田 「超える」というか「同等ぐらい」になるには、人のために、応援してくださる人の『ありがとう』という気持ちを大切にすることかなと思います。何ていうんですかね、人間が一番喜びを感じるときは、人から感謝されたときだと思うので。これから、甲子園のように大きな注目を集めることはないかもしれないですけど、自分が頑張ることで、誰かに喜んでもらえることに変わりはありません。そこをしっかりと受け止めることができれば、幸福度や達成感はあまり変わらないと思っています。

――素晴らしい考えですね。慶應義塾では『他喜力』をひとつのキーワードにしていましたが、そういうメンタリティはもともと持っていたんですか?

丸田 正直、自分が好きで野球をやっているので、「誰かのためにやる」という考えはあまり好きじゃなかったんですけど、高校でメンタルを学ぶ中で、「たしかに」と思うことは増えてきました。でも、「誰かのために」が一番に来るのではなく、自分自身が頑張ることが一番大切で、その結果が誰かのためになったらより良いなと思っています。

――この夏は、誰を喜ばせたかったですか。

丸田 いやもう、いろんな人ですね。中学校の友達や先生だけでなく、保育園の先生まで応援に来てくれて、嬉しかったです。祖父や祖母も、カレンダーに試合の日を書いてくれていて、毎試合本当に楽しみにしていたみたいです。年齢もあって、球場には来られなかったんですけど、いつもテレビで応援してくれていたようです。応援してくれる人のためにも、「しっかりやらなきゃいけない」と思っていました。

注目されることの喜びと怖さ

野球以外の部分でも注目を集めた丸田。その受け止め方は、本人としても難しい部分があったという 【写真は共同】

――この夏は、野球以外のところでも注目を集めました。高校生が受け入れるには大変なこともあったと想像します。

丸田 ちょっと過熱しすぎかなとも思いましたけど、「注目されたい」と思っても、なかなかできることではないので、「応援してくださる人が増えた」とプラスに捉えるようにしていました。ただ、正直怖さみたいのもあって、SNSで注目を集めていく中で、いろんな見方をしていた人もいたと思うので……。野球で注目されるのは純粋に嬉しいんですけど。

――そのあたりの怖さは、自分の中でどうやって受け止めていますか。

丸田 どうですかね……。秋の県大会も、3年生は後輩の応援に行ったんですけど、ぼくは球場に1度も行かなかったんです。球場では声をかけられることも増えると思って、そういうことを考えると行きづらくなってしまって。でも、何がきっかけかわからないですけど、最近はちょっとずつ落ち着いてきて、自分自身にも余裕が出てきたのはあります。

――チームメイトの清原勝児選手は、小さい頃からずっと注目を集めてきたわけですが、彼のふるまいを間近で見る中で感じたことはありますか。

丸田 いやもう、本当にすごいなと思います。小さい頃というか、もっと言えば、生まれたときからずっと注目されてきて、ぼくが想像しても想像しきれない大変なこともあったと思います。彼と一緒の立場では全然ないですけど、自分の中ではものすごくリスペクトしています。

――夏の活躍によって、こうして取材を受ける機会も増えたと思います。森林さんは、「取材も人間性を磨く場」として捉えていますが、何か感じたことはありますか。

丸田 いっぱいありますね。こうやって質問を受けることで、自分の言葉選びというか、思考が整理されていくのを感じます。あと、「慶應ってこうですよね」と前提から入るような質問を受けたときに、「自分たちはこう思われているな」とか「言いたいことがまだ伝わっていないな」とか、いろいろ感じるところはありました。こうしたことも経験できる高校生は少ないと思うので、ありがたいなと思っています。

「野球だけになりたくない」その思いで慶應の門を叩いた

――初めて知ったときにはびっくりしたのですが、中学で野球を辞めることも考えていたそうですね。

丸田 そうです。正直、高校野球にそこまで強い気持ちはなくて、甲子園に対する憧れもありませんでした。中学までの野球である程度は満足していたので、高校では何か新しいことに挑戦したいと思っていたんです。

――その中で、「高校でも野球を続けたい」と決めた最大の理由は何ですか。

丸田 周りの友達が続けるのもそうですけど、一番は中3のときに新型コロナウイルスでいくつもの大会が中止になったり、縮小されたりしたことです。野球に対して不完全燃焼な感じになってしまって、今までやってきた野球をしっかり続けていきたいと考えるようになりました。でも、自分の中で「野球だけ」になるのは絶対にイヤで、勉強と野球を両立していきたい。それで、中学(横浜泉中央ボーイズ)の指導者が、慶應を紹介してくれました。慶應がどういう野球を目指しているのかを知ったのは、そこからです。

――「勉強と野球の両立」という考えの原点は両親ですか?

丸田 どうですかね、わからないです。親から、「勉強しなさい」と言われたことは一度もないです。

――勉強は好き?

丸田 好きではないです(笑)。でも、学ぶことによっていろいろな知識が増えるのは楽しいです。

――自分自身が「野球だけになりたくない」と考える理由は何ですか。

丸田 将来の選択肢を広げたかった……というよりも、減らしたくなかったからです。野球でご飯を食べられる人は“ひと握り”どころか、“ひとつまみ”だと思うので、そんなに甘くないだろうと。だから、野球以外のことをしっかりやっておきたい。学生の本分は勉強なので、「勉強をしっかりやったうえでの“おまけ”として野球がある」ぐらいの感覚でいました。

――慶應義塾を選んで良かったと感じるのは、どんなところですか。

丸田 やっぱり、自分で考えて野球ができることです。試行錯誤しながら、自分の課題と向き合うことができる。それに、積極的なチャレンジや考えたうえでのミスは一切責められません。考えたプレーほど評価されます。

――森林さんが「丸田は頑固な性格で、自分が納得したことじゃないと受け入れない」と評していました。

丸田 そうですね。慶應で本当に良かったと思います。

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著者プロフィール

1977年生まれ、横浜市出身。大学卒業後、スポーツライター事務所を経て独立。中学軟式野球、高校野球を中心に取材・執筆。著書に『高校野球界の監督がここまで明かす! 走塁技術の極意』『中学野球部の教科書』(カンゼン)、構成本に『仙台育英 日本一からの招待』(須江航著/カンゼン)などがある。現在ベースボール専門メディアFull-Count(https://full-count.jp/)で、神奈川の高校野球にまつわるコラムを随時執筆中。

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