身長188センチで捕手&投手&4番 東邦・高柳大治がちょっとスゴイぞ
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父はラグビー元日本代表選手
雄大な体躯を武器に、強豪・東邦で中心的役割を担う高柳。ラグビーで日本代表入りした父に続き、自身は野球で将来の日本代表入り!? 【尾関雄一朗】
ラグビー元日本代表選手の父をもつ。トヨタ自動車ヴェルブリッツでプレーした高柳健一氏だ。現役時代はPR(プロップ)として活躍し、2008年に引退。現在はチーム運営統括を務めている。
高柳自身もご多分に漏れず、保育園年少の頃にラグビーを始めた。父がコーチをしていた、トヨタ自動車の小学生向けチームに入った。他方、小学1年からは地元の野球チームにも所属した。3歳上の兄がラグビーと野球を“両立”していた影響からだ。高柳によると「ラグビーの練習は基本的に土日どちらかで、半日だけ」だったから、掛け持ちはできた。
小学校高学年になるにつれ、気持ちは野球に傾いた。「野球の方が好きだったですね。ラグビーは接触プレーが痛くて……。自分たちが中心の代になる5年生の頃からは、野球を優先したくて、ラグビーの練習にあまり出られなくなりました。父に『ラグビーをやれ』と強制されるようなことは全然なかったです」(高柳)。楕円形のボールには小学生限りで別れを告げた。
高校1年秋に誕生した“大型捕手”
高校1年秋に捕手に転向し、2年秋からレギュラーに。盗塁を許さぬ地肩と、陽性の気質が魅力だ 【尾関雄一朗】
転向を決めた東邦の山田祐輔監督は、意図をこう説明する。
「キャッチャーがいないチーム事情も関係しました。また、高柳は肩が強く、体に力があります。それを生かせるポジションを考えたとき、たとえばファーストなどよりも、キャッチャーをやらせてみたいと思いました」
捕手に取り組んで1年ほどが経過した。転向直後の高校2年春のセンバツは、経験や力量が上級生捕手に及ばずベンチ外。2年夏の愛知大会で控え捕手としてベンチ入りし、2年秋の新チームから正捕手となった。
捕手ならではの大変さを味わっている。配球も日々勉強だ。しかし手応えもある。「最初はめちゃくちゃだったので……。それに比べたら、今は多少は成長しました」と背番号2ははにかむ。「ちゃんと送球の形さえつくれれば、いい球がいく自信はあります。まずはしっかり足を使い、投げやすい体勢をつくりたいです」と話す二塁送球は、地肩の強さが生きる。「タイムはそれほど意識していません」と言うが、計測すると2秒を切る。
投手としても“先輩”高橋宏斗級!?
長い腕を豪快に振り抜き、最速144キロのストレートで打者を攻める。今秋の県大会では2試合に登板し計2回を無失点、3奪三振をマーク 【尾関雄一朗】
中学のクラブチーム「豊田シニア」時代は投手だった。中学3年夏は全国ベスト8まで勝ち進み、複数の強豪校から声がかかっている。
中学2年冬に間近で見た豪球が脳裏に焼きついている。ドラフト指名を受けたばかりのOB・高橋宏斗(中京大中京~中日)がチームを凱旋訪問。高柳はブルペンの隣のマウンドでその投球練習を見た。「凄かったです。球がジュルジュルいっていました」と目を輝かせ、追い求めてきた。
今年の秋、投手としても感触が良かった。
「高校1年秋にキャッチャーになった後、一度ピッチャーをしたときはストライクが全然入らなくて……。でも2年秋、自分たちの代になってまたピッチャーをやってみたら、意外といけました。びっくりするぐらい腕を振っても、ストライクが入るんです。球を置きにいくのではなく、腕を振ってストレートでどんどん押していけました」
最速は144キロで、カーブやスプリットを操る。
捕手か投手か、この先どちらでいくのか――。今は両方に挑戦する構えだ。
「キャッチャーは変わらずやっていきたいし、ピッチャーとして先発でも投げられるようにしたいです」