「神村学園にしかできなかった秋の経験」を日本一の糧に 過酷な日程を乗り越え、一番成長した九州大会にできるか
1年夏から甲子園デビューを果たした大型内野手・今岡拓夢ら、ずらっと甲子園経験メンバーが並んだ神村学園。九州大会でも優勝の本命に挙げられたが、準決勝で涙を呑んだ 【写真は共同】
甲子園メンバー10人が残った大本命
今秋も鹿児島大会5試合で52点、それも初戦から準決勝まですべて二けた得点だ。そのうえ、1試合の平均失策数も1以下と安定。他を寄せ付けない圧倒的強さで、夏に続いて鹿児島の頂点に立っている。
もちろん、鹿児島1位代表として臨んだ九州大会では、優勝候補の筆頭に挙げられた。夏の甲子園で4番を打ち打率.421の正林輝大(2年)、同じく打率6割と大暴れした上川床勇希(2年)を筆頭に、1年生の大型遊撃手・今岡拓夢など、甲子園のベンチ入り選手10人がそのまま新チームに残っている。しかも、今村拓未、木下夢稀(ともに2年)のバッテリーはもちろん、九つのレギュラーポジションすべてが甲子園経験者だ。この事実だけでも、自信を持って神村学園に本命◎の印を打つだけの根拠になった。
注目の九州大会は、初戦で沖縄尚学と対戦した。前年秋の九州王者で、夏の甲子園でも8強入りしている沖縄尚学だったが、こちらは甲子園で19番を背負った宜野座恵夢(1年)、同じく20番の眞喜志拓斗(1年)以外はメンバー総入れ替えという布陣だった。両者の対戦は地力と経験値に勝る神村学園が9-1(7回コールド)と圧倒。続く日南学園との準々決勝も今岡の2ランなどで10‐0と強さを発揮し、6回コールドで危なげなく勝利。早々に九州地区のセンバツ一般枠当確ラインとなる4強入りを決めたのだった。
強行スケジュール+満身創痍の秋
「甲子園の準決勝で敗れた直後に鹿児島大会の初戦、2週間で決勝戦。その後、中2週で鹿児島国体、そして九州大会。選手たちはハードなスケジュールの中、よくここまでたどり着いたと思います」
鹿児島県の秋季大会は、鹿児島国体開催の為に例年とは違った変則スケジュールで実施された。小田監督の言うように、神村学園は仙台育英との準決勝を戦ったちょうど1週間後が初戦で、九州の他県が3週間から4週間にわたる長期的な大会スケジュールを組む中、約2週間という短期決戦のトーナメントを強いられたのだった。
地元代表での国体出場も決まっていたことから、新チームと3年生を交えた前チームの練習を並行して行い、両チームによる紅白戦を多く組みながら国体本番を迎えている。したがって、新チームの練習に本腰を入れられるようになったのは、国体の北海戦を終えた10月9日以降と大きくずれ込んでしまった。
その間、選手の故障も相次いだ。今村と木下のバッテリーはともに腰痛を抱え、二塁手の増田有紀(2年)、三塁手の岩下吏玖(2年)が肩の違和感を訴える。今岡はスライディングで尻を打撲し、斬り込み隊長を担った中堅手の入来田華月(1年)は練習試合で右足に死球を受け、本来のスピードを発揮できずにいた。さらに甲子園4強の立役者である正林は左足を疲労骨折し、上川床も股関節を痛めて思うように屈伸運動ができない状態にまで追い込まれてしまった。
結局、選手たちはベストに程遠いコンディションの中で九州大会を戦うこととなる。そんな中で2試合19得点、失点わずかに1という強さを見せての準々決勝突破は、神村学園だからこそのたくましさに他ならない。しかし、踏ん張りが効いたのはここまでだった。
準決勝は熊本国府との対戦。試合は1点リードで迎えた中盤以降、お株を奪われるかのような集中打を浴びて相手の勢いを止められず、左打者9人を並べた打線も相手の変則左腕の前にあと一本が出なかった。結果、1-7の完敗で九州大会が終わった。