FA導入から30年 現代移籍史

裏金問題が端を発し見直されたドラフトとFA制度 それでもFA権が“使われにくい”のはなぜか?

中島大輔

今オフFAの目玉の一人・西川龍馬は広島からオリックスへ。オリックスは昨年の森友哉の獲得に続き2年連続でFA補強に成功した 【写真は共同】

FA制度改正の背景にあった球界の“激震”

 日本のプロ野球(NPB)でフリーエージェント(FA)の権利が使われにくい理由は、今オフにFA宣言した選手の年齢を見るとわかりやすい(年齢はFA宣言時、以下同)。

 31歳:山川穂高(西武)、平井克典(西武)、山﨑福也(オリックス→日本ハム)
 30歳:石田健大(DeNA)
 29歳:田村龍弘(ロッテに残留)
 28歳:西川龍馬(広島→オリックス)、松井裕樹(楽天)


 プロ野球選手の全盛期は27、8歳頃と言われるなか、権利取得までに時間がかかりすぎるのだ。

 実際、巨人の原辰徳前監督もそう指摘している。

「FAももちろんそうだけど、年齢的な部分からいくと、もうちょっと早くあげてもいいよな。俺が言うのもあれだけど、本当にそうだね」(9月12日付の中日スポーツ「原監督、選手会が提案の『投げ抹消投手の救済案』に賛成 FA権取得も『もうちょっと早くあげてもいいよな』」より)

 原前監督は現役時代に日本プロ野球選手会の会長を務め、FA制度導入の交渉に当たっている。現在の立場から言うと、監督を務めた巨人はFA宣言した選手を最も多く獲得してきた球団だ。

 FA制度で権利の取得期間が最後に改正されたのは、15年前の2008年にさかのぼる。1度目の改正が行われた2003年には全選手に対して9年の登録日数とされたが、2度目の改正では短縮された上でFA権に二つの種類が設けられた。国内FAと海外FAだ。

 国内FA権は、高卒は8年、大卒・社会人は7年で取得(2006年までのドラフトで入団した選手はいずれも8年)。海外FA権は一律9年と定められた。海外FA権の取得期間を1年遅くしているのは、メジャーリーグ(MLB)への“流出”を避けようという意図が窺える。

 2008年オフにFA宣言したのは7人で、いずれも海外FA権を有していた。そのうち上原浩治(巨人→オリオールズ、当時33歳)、川上憲伸(中日→ブレーブス、当時33歳)、高橋建(広島→ブルージェイズ、当時39歳)が海を渡った。高橋は初めてFA宣言後にMLB球団とマイナー契約した例となったが、開幕前にブルージェイズから解雇された後にメッツに入団した。

 一方、中村紀洋(中日→楽天、当時35歳)、野口寿浩(阪神→横浜/現DeNA、当時37歳)、相川亮二(横浜→ヤクルト、当時32歳)は国内で移籍先を求めた。三浦大輔はFA宣言して横浜に残留している(当時34歳)。

 2008年にFA制度の改正が行われた背景には、数年前から球界で起こった“激震”がある。とりわけNPBの未来に大きな影響を与えたのが、2004年の球界再編騒動だ。近鉄とオリックスが合併し、さらにもう1球団減らして全10球団による1リーグ制が模索された。ファンの猛反対と選手会による史上初のストライキで未遂に終わり、東北楽天ゴールデンイーグルスが誕生した。

プロ野球変革期に示した選手会のFA改革案

球界再編騒動に揺れた2004年。同じ年に起きた俗に言う「一場(靖弘)事件」も球界全体を巻き込む事態にまで発展した 【写真は共同】

 球界再編騒動は、“セット”で行われたドラフト改革とFA制の導入からつながっている。1990年代前半に両制度を推進した巨人は、水面下でNPBからの脱退や1リーグ制をちらつかせていたのだ。

 当時の時勢としてサラリーマンの終身雇用制が見直され、新聞各紙には「プロ野球も変わるべきだ」という声があふれた。労働者の権利が重視され、そうした中で進められたのがドラフトの逆指名制度(のちに自由獲得枠制度、希望入団枠制度と改称)とFA制度の導入だった。

 いずれも1993年から始まったなか、前者が2007年に廃止された裏には「裏金問題」がある。

 2004年、明治大学の一場靖弘を自由獲得枠で入団させようと動いた巨人、阪神、横浜、広島が「栄養費」の名目で裏金を渡していたことが発覚。巨人、阪神、横浜のオーナーが辞任する事態になった。一場は同年の自由獲得枠で楽天に入団した。

 2007年には西武が東京ガスの木村雄太と早稲田大学の清水勝仁に計1300万円を裏金として渡していたことが判明。さらに1994年から2005年にかけて15選手への契約金で合計11億9000万円の超過金を払っていたことが明らかになった。

 また、横浜は2004年に自由獲得枠で入団した那須野巧に5億3000万円の契約金を払っていたことが発覚した。

 1993年に逆指名制度が導入された際、契約金の高騰を避けるために最高契約金額を1億円(1994年から1億円プラス出来高払い5000万円)とすることが12球団で決められたが、その約束は反故にされていた。球界では“暗黙の了解”として裏金が飛び交った末、2007年に希望入団枠は廃止された。

 2000年代のプロ野球は「1試合1億円」と言われた巨人戦の放映権バブルが弾けるなど、変革期にあった。その最たるものが2004年の球界再編問題だ。

 NPBのあり方に強い危機感を覚えた選手会は、プロ野球の構造改革に向けて動いた。そうして2005年8月に発表されたのが「日本プロ野球構造改革案」だ(現在も選手会の公式HPに掲載されている)。

 85ページからなるこの提案は地域密着経営などビジネス面からNPB改革に渡り、FA制度の改革にも言及されている。FAを「宣言」するというNPB独自の方式を改めるため、選手会は二つの道を示した。

(1)完全FA後の保留制度の廃止(MLB型)
→1度FAになった選手は保留制度から完全に外れ、以降はずっとFAの状態になる。球団側は複数年契約を結ぶことでしか選手を拘束できない。仮にFAとなってから1年契約を結んだ場合、シーズン終了後、選手は自由に次の移籍先を求めることができる(→以降は筆者の要約。以下同)。
(2)FA宣言制度の廃止(自動的FA状態の付与)
→取得年数を満たした選手は自動的にFAとなり、本来の意味での自由契約(フリーエージェント)として市場に出る。その上で所属球団と再契約するか、あるいは新たに移籍先を求めていく。

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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

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