FA導入から30年 現代移籍史

NPB独自の「人的補償」制度がはらむ矛盾……「夢と希望」をつかむFA移籍の裏側

中島大輔

昨年オフ、人的補償で日本ハムに移籍した田中正義(写真左)は今季25セーブをマークし新天地で花を咲かせた 【写真は共同】

NPBとMLBの「補償制度」の違い

 日本のプロ野球(NPB)で2024年シーズンに監督を務める12人のうち、4人が元メジャーリーガーだ。

 1997年オフに吉井理人(ヤクルト→メッツ、現ロッテ監督)、2000年オフに新庄剛志(阪神→メッツ、現日本ハム監督)がいずれもフリーエージェント(FA)権を行使してメジャーリーグ(MLB)へ。2003年オフには高津臣吾(ヤクルト→ホワイトソックス、現ヤクルト監督)、松井稼頭央(西武→メッツ、現西武監督)が同じくFA宣言して海を渡った。2000年オフにポスティングシステムにかけられたイチロー(オリックス→マリナーズ)、2002年オフにFA宣言した松井秀喜(巨人→ヤンキース)の移籍もあり、日本のトップ選手がMLB球団でプレーする傾向は強まっていった。

 保留制度の下に置かれる選手の権利としてMLBでは1976年、日本では1993年に誕生したFA制度だが、両国ではさまざまな違いがある。その一つが「補償制度」だ。

 現在のMLBではFA選手を獲得した際、元所属球団への補償として発生するのはドラフト指名権の譲渡だ。所属していた球団から提示されたクオリファイング・オファー(同年の年俸上位125選手の平均年俸と同額の1年契約)を拒否してFAになった選手が、翌年のドラフト会議までにMLBの他球団と契約した場合、所属元への補償が必要になる。

 対して、NPBでFA選手を獲得した場合に発生するのが金銭補償と人的補償だ。制度発足時から2007年まではFAで獲得した全選手に補償が求められたが、2008年のルール改正により、所属球団での年俸額が上位10人までは上記の補償が必要とされる一方、11番目以下の選手は補償なしで獲得できるようになった。

「我々の二の舞は避けなければいけない。この制度にはいろいろ問題がある」

 連載1回目で紹介したように、NPBがFA制度を設計するにあたり、日本ハムの元球団代表でFA問題等専門研究委員会の小嶋武士はMLBのコミッショナーなどから上記の忠告を受けている。問題とはFA制度導入後の年俸高騰や、資金力豊富なチームに戦力が偏ることだ。

 アメリカでの前例を受け、日本ではFA制度を異なる設計にした。当初、FA権の取得期間は12年の一軍登録から検討されている。

 一方、パ・リーグは1993年1月、補償のアイディアとして以下の二つを出した。
(1)その選手の実力に応じてドラフトの上位指名権を相手球団に譲渡する
(2)年俸と同じ額を相手球団に払う

 結果、(2)が緩和される形で「金銭補償」が規定された(獲得した球団は旧年俸の80%の額を支払う。2回目以降のFA移籍は40%。2007年までの規定で、2008年に改正)。そして、もう一つの補償が加えられることになった。

人的補償で移籍する選手の2つの傾向

2005年オフ、人的補償として巨人から西武に移籍した江藤智(写真右)。FA移籍と人的補償での移籍を経験する初の選手となった 【写真は共同】

「人的補償は名前も含め、よくないシステムだと当事者として思っています」

 2018年オフ、西武から巨人にFAで移籍した炭谷銀仁朗(現西武)の「人的補償」として所属球団を移った内海哲也は自著『プライド 史上4人目、連続最多勝左腕のマウンド人生』でそう記している。人的補償はNPB独自の規定として設けられ、FAで選手を獲得した球団はプロテクトした選手を除く支配下選手から1人を流出先の球団に譲渡するというものだ(人的補償を求めない場合、追加の金銭補償が発生する)。

 初めて人的補償になったのは1995年オフ、左腕投手の河野博文が日本ハムからFA宣言して巨人に移った際の川邉忠義だった。1989年ドラフト2位で巨人に入団した右腕投手の川邉は長らくファーム生活が続いたが、日本ハムに移った1996年に17試合に登板してプロ初勝利を挙げる。だが、翌年限りで自由契約となった。

 当初、人的補償を求める球団はほとんどなかった。その理由として考えられるのがプロテクトの人数で、FA制度の誕生当初は40人が対象となり、1996年に35人、2003年には30人、2004年には現行の28人に減ると、人的補償で球団を移るケースが増えていく。

 2005年オフに左腕投手の野口茂樹を中日、右腕投手の豊田清を西武から獲得した巨人は、人的補償で2選手を放出した。前者は捕手の小田幸平、後者は内野手の江藤智が要員に。江藤は1999年オフにFA宣言して広島から巨人に移っており、史上初めてFAで移籍した後に人的補償に出されるケースとなった。

 さらに2006年オフ、巨人が横浜(現DeNA)からFAで右腕投手の門倉健を獲得した際、人的補償の対象になったのが左腕投手の工藤公康だ。1994年オフにFA権を行使して西武からダイエー(現ソフトバンク)に移籍すると、1999年オフには2度目のFA宣言で巨人に移り、43歳になった2006年オフに今度は人的補償で横浜へ。横浜在籍3年目の2009年には46試合に登板した。この年限りで自由契約となった後、翌年は古巣の西武でプレーし、史上最長となる実働29年のプロ野球人生にピリオドを打った。

 2007年オフに新井貴浩(現広島監督)が広島から阪神、石井一久がヤクルトから西武にFAで移籍すると、前者の人的補償として赤松真人が広島に、後者では福地寿樹がヤクルトに移った。人的補償では工藤や内海のように全盛期をすぎた高年俸のベテランがプロテクトから外れて移籍する場合か、まだプロで実績を残していない若手がポテンシャルを買われるケースが多い。後者の赤松は広島に移ると俊足をアピールして外野のレギュラーに抜擢されるなど、人的補償の成功例となった。

 2006年に広島から西武にトレードで移った後、2007年オフに人的補償でヤクルトに移籍した福地も同様の成功を収めた。2008年には入団15年目で自身初の盗塁王に輝くと、翌年も同タイトルを獲得した。

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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

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