FA導入から30年 現代移籍史

裏金問題が端を発し見直されたドラフトとFA制度 それでもFA権が“使われにくい”のはなぜか?

中島大輔

導入から30年が経ったFA制度の実情とは

2004年の裏金問題が引き金となりドラフト希望枠の廃止、FA制度の改正へとつながった。当時NPB選手関係委員長として奔走した清武英利氏(左) 【写真は共同】

 以上のように当時の選手会は具体的な改革案を打ち出し、球団側にFAを含めて「保留制度」の見直しを求めた。そうした動きに裏金問題が重なった結果、2008年にFA制度が見直されることになった。

「希望枠を撤廃してFA制度が(権利取得までに)9年のままでは、選手の自由がなくなってしまう。入り口の自由をなくすなら、出口の自由を広げないといけない」

 そう話したのが、巨人で球団代表を務めていた清武英利だった。新たにドラフトで入団する新人選手の場合、国内移籍に関して高卒は6年、大卒・社会人は5年、すでに球団に在籍する選手は6年に短縮することを提案した(2007年3月14日付の読売新聞「巨人がドラフトに改革案」より)。

 広島が頑なに反対するなど各球団の意見がなかなかまとまらないなか、2008年、2度目の改正がなされた。取得期間の短縮に加え、変更されたのが補償制度だ。FAで移籍する当該選手の年俸が球団内でランク付けされ、ランクA(1〜3位)とランクB(4〜10位)の選手には補償が発生するのに対し、ランクC(11位以下)の選手は補償なしとなった。

 この変更により、ランクCの選手がFA権を使いやすくなった。FAで移籍しても補償が発生しないため、球団にとって獲得を躊躇する材料がなくなるからだ。例えば所属チームで出場機会が減ってきたり、新戦力を補強する動きを察知したりした選手が、チャンスを求めて新球団に移りやすくなったのはプラスの面と言える。

 一方、翌年の2009年オフには国内FA権を取得した藤井秀悟(日本ハム)がFA宣言したものの、オファーが1カ月以上なく、所属先を無くしそうになるという出来事があった。藤井本人がプロ野球OBクラブのYouTubeで明かした話によると、日本ハムから同年限りで契約満了を伝えられた際、「クビって言うと(次の球団で)給料が下がっちゃうから、FAで行けば?」と言われてFA宣言したという経緯だった。最終的には巨人に移籍するが、FA制度の問題点が改めて浮き彫りになった。

 日本では「クビ=戦力外通告」という表現が使われるが、本来、契約満了が意味するのは「自由契約(=フリーエージェント)」になるということだ。さらにFAを自身で「宣言」するのではなく、MLBのように「自動的」にFAになれば、選手は所属元を「出ていく」というニュアンスも薄くなる。そうしたほうが選手の流動性を高めやすく、FA制度を導入した際の「球界活性化」という目的にも近づくはずだ。

 FA制度で最後に大きな変更が行われたのは15年前にさかのぼる。それから現在まで“使われにくい権利”であるのが実情だ。その理由は、制度のあり方に大きな問題があるからに他ならない。

(敬称略)


(企画構成:株式会社スリーライト)

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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

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