FA導入から30年 現代移籍史

NPB独自の「人的補償」制度がはらむ矛盾……「夢と希望」をつかむFA移籍の裏側

中島大輔

2度の改正で使いやすい制度になったが…

ヤクルトに移籍後、2年連続で盗塁王を獲得した福地寿樹。人的補償で移籍し成功を収めた選手の代表格だ 【写真は共同】

 赤松や福地のように所属球団を変えることでチャンスをつかみ、花開く選手は少なくない。2023年で言えば、日本ハムからソフトバンクにFAで移籍した近藤健介の人的補償となった右腕投手の田中正義は新天地で輝きを放った。その一方、森友哉(西武→オリックス)の人的補償となった台湾人投手の張奕は1年限りで自由契約となっている。

 ただし、トレードや2022年に始まった現役ドラフトと異なり、人的補償には大きな問題がある。もともとFA制度は、ドラフトで指名される際に選手たちに球団選択の自由がなく、統一契約書を一度交わしたら保留制度の下に置かれ続けることが問題視され、自分の意思で所属球団を選べる権利として導入された。以上を踏まえると、有無を言わさず所属球団を変えさせる人的補償が“交換条件”の一つにされるのは筋が通っていない。

 もともと日本プロ野球選手会はFA制度について交渉していた頃、まずは導入することを最優先し、改善点は後々変更していけばいいと考えていた。だが、権利取得期間に関する改正は2度しか行われていない。

 1度目は2003年オフで、ドラフト時に逆指名制度(1993年から2006年まで実施。のちに自由獲得枠制度、希望入団枠制度と変更)で入団した選手の登録日数が10年から9年に短縮された。これにより2004年オフ、阪神の右腕投手・藪恵壹がFA権を1年前倒しで取得し、アスレチックスに移籍した。

 2度目の改正は2008年。FA権を取得するまでの登録日数が短縮され、国内FA権と海外FA権の導入、さらに補償が発生するか否かを決めるランク付け(A、B、Cの3段階。球団内の年俸順によって決定)が始まった。

 以上の変更によりFA制度は選手にとって使いやすくなったが、その裏にあったのは選手会の働きかけと、球界に大きな陰を落とす「裏金問題」だった。

(敬称略)

(企画構成:株式会社スリーライト)

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著者プロフィール

1979年埼玉県生まれ。上智大学在学中からスポーツライター、編集者として活動。05年夏、セルティックの中村俊輔を追い掛けてスコットランドに渡り、4年間密着取材。帰国後は主に野球を取材。新著に『プロ野球 FA宣言の闇』。2013年から中南米野球の取材を行い、2017年に上梓した『中南米野球はなぜ強いのか』(ともに亜紀書房)がミズノスポーツライター賞の優秀賞。その他の著書に『野球消滅』(新潮新書)と『人を育てる名監督の教え』(双葉社)がある。

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