桃田が示した「復活というより新しいスタイル」の自負 21年世界王者との激闘に熊本が沸いた
熊本マスターズジャパンで8強入りした桃田 【筆者撮影】
21年11月まで3年2カ月にわたって世界ランク1位を維持した時代なら喜べない結果だが、今は事情が違う。2018年、19年と世界選手権を優勝し、19年にギネス記録となる主要国際大会11回優勝を誇った桃田は、東京五輪の金メダル筆頭候補だった。しかし、20年1月にマレーシアで大会優勝後に交通事故に遭い、復帰2戦目で迎えた21年東京五輪は、予選敗退。以降、相手の強打を軽々とネット前に沈めたスーパーレシーブは見られなくなり、国際大会では初戦敗退が続いた。加えて、腰痛に悩まされるようになり、欠場も増えた。23年5月から24年パリ五輪の出場権獲得レースが始まったが、世界ランクは下降。今大会は本戦出場権を得られず、予選からのスタートだった。9月のアジア大会も腰痛で辞退。韓国マスターズ優勝前の世界ランクは、52位。すっかり国際大会で勝てなくなった桃田だが、韓国で優勝を飾り、復活はあるのかと期待と注目が集まっていた。
与えていたエネルギーの恩返し、シード選手を撃破
シード選手撃破の瞬間、桃田に見えたのは驚きと喜びだった 【筆者撮影】
すると、会場の空気が変わった。それまで、失点時には「あぁ……」と暗いため息が漏れていたのだが「惜しい」、「どんまい」と力強く前向きな声が聞こえるようになった。「みんな、ポジティブでしたね、応援が。あれは、すごい助かりました」と話した桃田は、このゲームで相手のマッチポイントを4度しのいだ。26-24でゲームを制した瞬間、両腕を下から上へ振り上げて、観衆にアピール。「応援で相手にプレッシャーをかけてほしかったので、もっと声を出してくれって。本当に、今日は応援にすごく救われました」と振り返った場面だ。日本男子で初めて世界の頂点に立ち、スーパープレーでファンを魅了し、世界の強豪を破って大きな夢と楽しみを与えて来た。だからこそ受けられたエネルギーの恩返しは、強烈だった。相手が大応援の雰囲気にのまれた第3ゲームで21-19と逆転勝利。最後は、かつて世界を制したヘアピンショット(ネット前からネット前に落とし返す、高難度のショット)でネットイン。シャトルが相手コートに落ちるのを見届けた桃田は、倒れ込んで頭を抱えた。シード選手撃破は、世界トップレベルの大会への帰還を感じさせる結果だ。