22歳外野手が引退を決断した舞台裏 「ウルッときた」宗佑磨の行動と「大好きな」山本由伸との思い出
23年9月26日の楽天戦で試合前に組まれた円陣で西浦(左端)はチーム名を鼓舞 【写真は共同】
中学、高校と輝かしい経歴を歩み、オリックスではあのイチロー以来、10代でホームランを記録するなど華々しい野球人生を歩んでいた。
そんな“野球に愛された男”に突然の病魔が襲い掛かる……
国の指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」を患い、医師から告げられたのは「復帰は8割強、無理」という非情通告……
懸命にリハビリに励むも、復帰は叶わず、22歳の若さで球界を去ることに……
引退を決めた後輩に、山本由伸、宗佑磨がヒーローインタビューで投げ掛けた言葉とは?
中嶋聡監督が取った意外な行動とは? そして西浦が引退試合で許された「たった1球の物語」とは――?
西浦颯大著『もう一回野球させてください神様』から、一部抜粋して公開します。
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決断
そこからはリハビリ生活です。手術をするまでの3年間は、舞洲にある「青濤館」での寮生活だったんですが、退院後しばらくは入浴などに介助が必要だったので、寮では対応できないため、寮を出て1人暮らしを始めなければなりませんでした。舞洲の球団施設でのリハビリや、京大病院での診察やリハビリは、当時付き合っていた彼女が送り迎えをしてくれたので本当にありがたかったです。
ただ、復帰までの歩みは思うようには進みませんでした。
退院してからも、両足の股関節の痛みはなくなりませんでした。最初はこんなものなのかな、徐々に痛みはなくなっていくのかな、と思っていたんですが、なかなかよくならない。特に左足の痛みがひどくて。
椅子に座った状態であれば、キャッチボールやティーバッティングができるようになっていったんですけど、歩くだけで痛みが走ったので、「これはもう無理だろうな」と、内心、覚悟していました。
6月に病院へ行き、レントゲンを撮ると、右は治っていたんですが、左の股関節が悪化していました。骨が沈んでしまっていた。左はもともと重症だったので。
「厳しいな」
先生にそう言われて、即決しました。
「あ、じゃあオレ、引退します」
手術から約半年での決断。早すぎると思われたかもしれませんが、お医者さんから厳しいと言われて、自分でも無理だとわかりながら、グダグダやり続けてもダメだなと思ったので、もうきちんとけじめをつけて、次の道に行こうと決めました。
球団にも「引退します」と報告しました。球団からは、手術後2年は見てくれると言われていたんですけど、復帰は無理だとわかっているのに、球団にいる必要はないなと思って。
今思えば、2年いればよかったなと思いますけどね(苦笑)。もう1年球団に残って、その間にいろいろと先のことを考えて準備をすればよかった。考える時間がないままパンと引退してしまって、翌年、路頭に迷うことになったので。
最後のティーバッティング
僕が引退を決めたあと、二軍で引退試合をしてくれることになりました。ただし、僕の足の状態を考慮した球団の判断は、「1球だけ守備につくだけなら」ということでした。
僕としては、最後、打席に立ちたかった。走れないんですけど、打席に立ちたかったんです。だから、本当はダメなんですけど、立てる機会が来た時のためにと思って練習していました。
僕はどちらかと言えば守備キャラなんですけど、引退試合で1球守備につくだけってどうなんだろう? と思ったし、走ることはできないですけど、バットを振ることはできたので。バッティングの動きは痛くなかったんです。
でも、打席に立つことは許されませんでした。僕が打席に立って、万が一デッドボールになって、また足がおかしくなったりしたら困るので、それはやめて欲しい、と球団に言われました。
「自己責任で大丈夫です」と言って食い下がったんですけど、ダメでした。
それで、「クッソー!」と思って、最後にティーバッティングで思い切りスイングをしました。「こんぐらいできんだぞ」と。
それまでは座ってのティーバッティングしかやっていなかったんですけど、あの時だけは普通に立ってやりました。その映像を撮って、Twitterに載せたんです。
そうしたら、「復帰が近いんじゃないか」、「西浦、いけるんじゃね?」と予想以上の反響がありました。その時はまだ引退を発表していなかったので、ファンの方たちに期待を持たせてしまいました。
「いやいや、待ってくれ」と。期待させておいて、そのまま引退を発表したらガッカリさせてしまうことになる。どうにかしたいなと思って、そのあと、3日連続で真っ黒な画像を投稿して、引退を匂わせました。もう今は削除しましたが。
身近な人には直接、引退を伝えました。
おかんには、病院で先生に「厳しい」と言われて引退を決めたその日に電話しました。
「もう引退するわ。今日、無理って言われたから」
「……ま、しょうがないねー……」
短い言葉でしたけど、すごく悲しんでいるのはわかりました。
でも「颯大が決めた道なら、どんな道でも応援するよ」と言ってくれました。
オヤジからは「本当にお疲れさま」と言われました。
明徳義塾の馬淵史郎監督にも連絡しました。
「そうかー、残念やなぁ。お前の身体能力なら、復活すると思ってたけどなぁ」
落胆した声を聞いて、期待されていたんだなと、改めて感じました。
宗佑磨さんだったり、若月健矢さんだったり、仲のいい選手にも自分から伝えました。みんな、多くは聞かず、「お疲れさま」と言ってくれました。きっと他にかける言葉が見つからなかったんだと思います。
そして9月24日、球団から僕の現役引退が発表されました。