西浦颯大“やらかし”の1年目から心を入れ替えてつかんだチャンス 菅野智之からアーチを放ち、19歳での開幕スタメンへ
高卒2年目のオープン戦、西浦颯大は巨人の菅野智之からライトへ3ランを放った 【写真は共同】
中学、高校と輝かしい経歴を歩み、オリックスではあのイチロー以来、10代でホームランを記録するなど華々しい野球人生を歩んでいた。
そんな“野球に愛された男”に突然の病魔が襲い掛かる……
国の指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」を患い、医師から告げられたのは「復帰は8割強、無理」という非情通告……
懸命にリハビリに励むも、復帰は叶わず、22歳の若さで球界を去ることに……
引退を決めた後輩に、山本由伸、宗佑磨がヒーローインタビューで投げ掛けた言葉とは?
中嶋聡監督が取った意外な行動とは? そして西浦が引退試合で許された「たった1球の物語」とは――?
西浦颯大著『もう一回野球させてください神様』から、一部抜粋して公開します。
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ルーキー時代は〝やらかし〟のオンパレード
2018年1月に、大阪市舞洲にあるオリックスの選手寮「青濤館」に入寮し、新人選手による合同自主トレが始まりました。
プロでの寮生活は、高校の頃に比べれば天国でした。まず1人部屋だし、怒る人もいないし。まあ寮長の宮田典計さんは怖かったんですけど(苦笑)。何度怒られたことか。鍵や窓の閉め忘れ、エアコンのつけっぱなし等々。僕が問題児だったからなんですけどね。
まだ未成年だった1年目の2月の宮崎キャンプでは、ホテルの部屋でタバコを吸ったのが見つかりました。さすがに紙タバコはまずいなと思って、電子タバコを吸ったんですけど、ゴミをそのままにして練習に行ってしまった。禁煙部屋だったために、清掃の人に見つかってしまい、20万円の罰金と、外出禁止の処分を受けました。
それでも翌月、3月24日の阪神タイガースとのオープン戦に急遽呼ばれて途中から出場し、9回表の打席で、ラファエル・ドリスからセンター前ヒットを打ちました。
その時、当時の福良淳一監督に「お前は私生活をもう少しちゃんとしたら、一軍で出られる力を持ってるんやから、しっかり頑張れよ」と言われました。
うれしくて、「ハイ。頑張ります!」と勢いよく返事をして二軍に戻ったんですけど、その直後の名古屋遠征の最中に、朝寝坊をしてしまいました。
朝起きたら目の前に二軍マネージャー(当時)の田中雅興さんがいました。
「え……? おはようございます」
「お前、今何時や?」
チームは8時出発だったのに、もう9時半。前の日にアラームをかけ忘れて寝てしまったんです。
やってもーた……。
入団後のいろいろなことが積もり積もっていたので、そこから1ヶ月の謹慎処分を受けました。1ヶ月間、野球をしませんでした。
心を入れ替えて掴んだ一軍での初舞台
もちろんそのせいにしちゃいけないし、自分のやってしまったことは本当にダメなことなんですけど、学生時代に締め付けが厳しすぎると、どこかでその反動がくる可能性があるように感じます。
高校の時はコンビニすら行けない、というか、コンビニすらない生活で、自動販売機でジュースを買うぐらいしかできなかったので、ひと月のお小遣いは5000円でやっていけたんですけど、卒業してプロに入ったら、いきなり契約金3000万円がボーンと入ってきて、なにこれ? となるんですよ。
「いい飯食おう!」となるし、お金を持ったからちょっとイキがって、友達におごったりしてしまう。その感覚がいまだに続いているからしんどいんですけどね。そこはちょっとミスったなと思うんですけど。
寝坊がダメ押しになって1ヶ月間の謹慎になった時、周りの選手やスタッフには「あいつ、異例の高卒1年目でクビあるんじゃないか?」と噂されました。
「あいつは1年目でクビか、来年開幕スタメンで出るか、どっちかやな」と言う人もいたそうです。
せっかくプロ野球選手になったのに、1年目でクビになるなんて、さすがにそれはヤバイ。このままではダメだ。ちゃんとしないといけない。そう思うようになって、以降は何もやらかしていません。
目覚まし時計は5個買って、部屋のあちこちに置いて寝るようにしました。
その甲斐があってか、1年目のシーズン終盤に一軍に昇格することができ、10月1日、楽天生命パーク宮城(現・楽天モバイルパーク宮城)で行われた東北楽天ゴールデンイーグルス戦に、8番・ライトで初出場・初先発しました。
初の一軍出場は、ウキウキワクワクという感じでしたね。
「ワンチャン、ホームラン打てんかなー」なんて考えていました。ホームランは打てませんでしたが、5回表の打席で藤平尚真さんの初球を振り抜き、ライト前へプロ初ヒットを放つことができました。
それだけでなく、直後の若月健矢さんの打席で、2塁へ初盗塁も成功しました。
この試合で手応えを得て、「これ来年行けるかも。マジで頑張ろう」とさらにやる気に火がつきました。
そしてプロ2年目の2019年、2番・センターで開幕スタメンをつかみました。