西浦颯大がプロ初本塁打のお立ち台で“伝えたかった言葉” 「令和のイチロー」と呼ばれた男が本気で目指していたタイトル
2019年05月10日、西浦颯大(右)はプロ初本塁打を放ち、一軍で初めてお立ち台に上った 【写真は共同】
中学、高校と輝かしい経歴を歩み、オリックスではあのイチロー以来、10代でホームランを記録するなど華々しい野球人生を歩んでいた。
そんな“野球に愛された男”に突然の病魔が襲い掛かる……
国の指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」を患い、医師から告げられたのは「復帰は8割強、無理」という非情通告……
懸命にリハビリに励むも、復帰は叶わず、22歳の若さで球界を去ることに……
引退を決めた後輩に、山本由伸、宗佑磨がヒーローインタビューで投げ掛けた言葉とは?
中嶋聡監督が取った意外な行動とは? そして西浦が引退試合で許された「たった1球の物語」とは――?
西浦颯大著『もう一回野球させてください神様』から、一部抜粋して公開します。
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全力疾走したプロ初ホームラン
それまでテレビでしか観たことがなかったので、じかに見たいなと思って。
それと、自分が呼ばれた時のために。「みんなどんなこと言ってるんかな?」、「どんなことを言ったらお客さんはウケるのかな?」と。イメージトレーニングですね。「自分が呼ばれた時にはこう言おう」という言葉は、用意していました。
僕が初めてヒーローインタビューに呼ばれたのは、初ホームランを打った5月10日。ほっともっとフィールド神戸で行われた楽天戦でした。
6回裏の第3打席、2死3塁の場面で、ピッチャーは青山浩二さん。その頃の僕はヒットが出なくなっていたので、「打たないとヤバイな」と思っていました。
スリーボールになってから1球見て、カウントは3 -1。次は変化球、たぶんスライダーあたりが来るかなと思って狙っていたら、スライダーが来ました。
打った瞬間、「行った」と思いましたが、僕みたいなタイプは癖で、全力で走っちゃうんですよね(笑)。
確信歩きとかしてみたいなって、憧れたこともあったんですけど、いざ試合になると忘れて全力疾走してしまう。体が自然とそうなってしまうんですよね。それに、あのホームランの時は当たった感触があまりなかったんです。高2の夏に甲子園で打った満塁ホームランと同じような感覚でした。
ベンチに帰ったらみんなすごく喜んでくれていたので、うれしかったですね。自分はホームランバッタータイプではなかったので、「早く打ちたい」という気持ちは別になかったんですけど、打てたらめちゃくちゃうれしかったです(笑)。
ただ、その日は活躍した選手が多くて、インタビューに呼ばれたのが、T-岡田さん、正尚さん、中川圭太さんと僕。4人もいたので、ちょっとイメージしていたヒーローインタビューとは違っていて……(苦笑)。
プロ初のヒーローインタビュー
ーー続きまして、同じくプロ初ホームラン、西浦颯大選手です。おめでとうございます
「ありがとうございまーす!」
ーープロ初ホームランの味はいかがでしたか?
「正直、ダイヤモンド1周が、一瞬すぎて、なんも覚えてないです」
ーーそのくらい興奮したんだと思いますが、あの打席を振り返っていただけます
か?
「スリーワンから、もうまっすぐは来ないだろうなと思っていたんで、思い切っ
て、変化球を狙いました」
ーー西浦選手は2年目の今年、本当に活躍が続いています。今どんなことを感じて
いますか?
「ずっと最近凡退が続いていたんで、今日のホームランをきっかけに、復調でき
ればいいなと思います!」
ーープロ初ホームランのボールはどうしましょう?
「両親に渡します」
ーーどんなメッセージを添えますか?
「えー……、産んでくれて、ありがとう!」
「産んでくれて、ありがとう」
これが、用意していた言葉です。
両親に感謝の思いを伝えたいというのは、ずっと考えていました。特におかんに対しては、絶対になにか言ってあげたいと思っていました。