西浦颯大『もう一回野球させてください神様』

西浦颯大がプロ初本塁打のお立ち台で“伝えたかった言葉” 「令和のイチロー」と呼ばれた男が本気で目指していたタイトル

西浦颯大

令和のイチロー

 そのプロ初ホームランを打った時、僕はまだ19歳でした。オリックスの選手で、10代でホームランを打ったのは、イチローさん(現・シアトル・マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)以来だったそうです。

 だからその時の新聞記事には「令和のイチロー」と書かれました。

 左打ちの俊足の外野手は、一度は「○○のイチロー」と名付けられたことがあると思います。僕が1歳の時からイチローさんはメジャーでプレーしていたので、オリックス時代の姿は見たことがありませんでした。でも、子供の頃から憧れて、モノマネをしたり、イチローさんモデルのバットや手袋を使ったりしていたので、「令和のイチロー」はうれしかったですけど、なんだか申し訳なかったですね。

「オレなんかが?」って。20歳の誕生日を迎える11日前だったので、ギリギリの10代。ギリギリの「令和のイチロー」でしたね。

 まあ、そのあと、紅林(弘太郎)が2021年に19歳で初ホームランを放ち、しかもチーム初の10代での二桁本塁打まで記録して、あっさり越えられてしまったんですけど。

狙うはゴールデン・グラブ賞

 あの頃、本気で目指していたタイトルは、ゴールデン・グラブ賞でした。あと、盗塁王も獲りたかったですね。

 もちろんタイトルは全部獲りたかった。いやまあ、ホームラン王は無理ですけど(笑)。
 プロに入って、そこはすぐに思い知らされました。特にラオウ(杉本裕太郎)さんのバッティングを見た時は、引きましたよ。あのパワーや飛距離に。あの時、ホームランは諦めようと思いました(苦笑)。

 一軍でプレーして改めて、一軍に定着していくための自分の一番の武器は守備だと感じました。守備範囲の広さと、〝行く勇気〞かなと。
 もちろん状況にもよりますけど、際どいボールもノーバンで捕りに行く勇気。行くべきだと思ったところは絶対に行くようにしていました。

 まだ一軍に上がったばかりでしたけど、「こんな守備をしていたらゴールデン・グラブに選ばれないな」なんて日々反省しながらやっていました。
 でも、ゴールデン・グラブ賞って記者投票なんですよね。だから、なんか忖度しているなと感じることはあります。守備のタイトルなのに、単に知名度のある選手が選ばれていたりしていて。選手間投票にしたらいいのにと思うんですけどね。
 どちらにせよ、シーズン130試合ぐらいは出ないと獲れないだろうなというイメージはありました。

 その年の僕は、開幕直後は安打も続いて調子がよかったんですが、徐々に打率は落ちていき、ついに1割台に。6月9日の試合を最後に、二軍行きになりました。約2ヶ月でまた一軍に昇格でき、8月から再び出場しましたが、結果的にプロ2年目のこの年は77試合の出場に留まりました。

 一軍で試合に出続けるのは、二軍よりかなりキツいなと感じました。毎試合のプレッシャーも違いました。

 しかも当時は、朝から夜中まで、練習漬けでしたから。
 ナイターの日でも、コーチに呼ばれて、僕だけ朝10時にはもう京セラドームに入っていました。
 シャワーを浴びて準備をして、11時ごろから早出練習がスタート。特打、特守、特走、全部やって、そのあと午後2時から始まる全体練習に入ります。
 試合が終わってからも、室内練習場で夜中の12時ごろまで打っていました。

 地獄でしたね。寮に帰ったらもう午前1時ぐらい。疲れ果てているので、すぐに寝たいんですけど、ストレスのせいか眠れないんですよ。体は疲れているのに、ベッドに横になったら、目がさえてしまうんです。
 さすがに遠征中はないかなと思っていたら、「西浦、球場からバット1本持って帰ってこいよ」と言われて。コーチの部屋で1、2時間、素振りをしました。
 当時の僕はやらされてやっていただけなので、あの練習はたぶん体を疲れさせていただけ。

 僕の個人的な考えですが、大事なのは量より質なんじゃないかなと。100回やらされて振るぐらいだったら、10回集中して真剣に振ったほうがいい。あのやり方は僕にはあわなかったですね。あの頃は肩がずっと痛かったんですが、治療をしてもらう時間もなかったし、どんどん疲労も溜まっていきました。

 中嶋聡さんが一軍監督になってからは、そういうやり方はなくなりました。キツい練習をする時もあるんですけど、休む時は休ませる。二軍監督の時からそうでした。

「今日は試合後、キツいメニューをやるからな」と言われて、「うわー、マジか」となる日はあるんですけど、たまに「今日は試合が終わったら絶対に自主練をするな。帰って寝とけ」という日もあるんです。たぶん選手の疲労度などを見て、そうしているんだと思います。

 たまにキツいことをやるのは、なんか頑張れるんですよね。でも毎日それが続くと、どうしても手を抜きたくなる。それをずっと毎日100%でやっていたら体がつぶれてしまいますから。
 そのあたりが中嶋監督になって変わったから、オリックスは強くなったんじゃないでしょうか。

書籍紹介

【写真提供:KADOKAWA】

小学6年生でソフトバンクジュニアに選出されるなどセンス抜群の野球少年だった西浦颯大。
中学、高校と輝かしい経歴を歩み、オリックスではあのイチロー以来、10代でホームランを記録するなど華々しい野球人生を歩んでいた。

そんな“野球に愛された男”に突然の病魔が襲い掛かる……
国の指定難病「特発性大腿骨頭壊死症」を患い、医師から告げられたのは「復帰は8割強、無理」という非情通告……
懸命にリハビリに励むも、復帰は叶わず、22歳の若さで球界を去ることに……

引退を決めた後輩に、山本由伸、宗佑磨がヒーローインタビューで投げ掛けた言葉とは? 
中嶋聡監督が取った意外な行動とは? そして西浦が引退試合で許された「たった1球の物語」とは――?

2/2ページ

著者プロフィール

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント