U-22日本代表・山本理仁が語る欧州挑戦とパリ五輪予選「海外挑戦ができた今、あらためて世界大会に出たい」

飯尾篤史

15歳から年代別代表に選ばれながら世界大会に縁のなかった山本。だからこそ、パリ五輪に懸ける思いは強い 【飯尾篤史】

 パリ五輪アジア1次予選が9月6日からバーレーンで開幕する。本大会でのメダル獲得を目指すU-22日本代表、大岩ジャパンの主力のひとりが今夏、ガンバ大阪からベルギー1部のシント=トロイデンに移籍した山本理仁だ。昨秋からキャプテンマークを託される機会が増えたプレーメーカーに、欧州挑戦とパリ五輪への思いを聞いた。

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「自分が指揮を執るんだ」っていう感じでやれなかった

――シント=トロイデンからオファーが届いたとき、率直にどんな気持ちでしたか?

 行くという選択肢しかなかったですね。今年はJリーグが開幕してから、夏には海外に出るつもりでやっていたし、(U-22日本)代表戦で手応えを掴み出している時期に届いたオファーだったので。もちろん、ガンバ(大阪)には引き止められましたけど、自分の夢や目標に向けて、日本に残る選択肢は自分の中にはなくて。挑戦したいという気持ちしかなかったです。

――立石敬之CEOからはどんな話を?

 タテさんからは「技術は間違いないから、ベルギーで戦えるだけのフィジカルさえ身につければ上に行ける」という話をしてもらって。自分でも、海外の選手と対戦して、技術は彼らよりもあるという手応えを感じていたので。タテさんが言うように、速さ、強さを身につけられれば、もうひとつ上のレベルの選手になれるなって思いました。

――3月のドイツ戦やベルギー戦、6月のイングランド戦やオランダ戦に出場してヨーロッパの同年代の選手に対して負けてないな、世界でもやれるな、と感じたことが移籍への後押しになった部分はある?

 それは間違いないですね。ガンバでレギュラーとして試合に出られていたわけではないけれど、あそこでやれた経験が自信になって、チャレンジするという決断に至ったので。あの3月シリーズと6月シリーズは、自分にとってすごく有意義なものになりました。

――19歳の頃、「5年以内に5大リーグの舞台に立っていたい」と話していました。それから3年が経ち、海外での一歩を踏み出した。ここまでは順調と言えますか?

 19歳の頃に話した目標については、少しずつ近づいているとは思いますけど、17歳でプロデビューして、ある程度活躍して、自分のことをそれなりに知ってもらってからの1、2年間は、思い描いていたものではなかったですね。(東京)ヴェルディで試合に出続けて、もっと早くJ1にステップアップするつもりだったのに、そうならなかった。ガンバでも思い描いていたような活躍はできなかったから、順調とは言えないですけど、ただ、苦しみの中で得られたものもある。実際、1年弱でヴェルディ、ガンバ、シント=トロイデンとステップアップできたので、まったく意味のない経験だったとも思ってないですね。

――代表では欧州の同世代と渡り合える手応えや自信を得た一方で、ガンバではコンスタントに試合に出られない。そうしたギャップへのもどかしさや葛藤も?

 そうですね。代表では自分が舵を取ってやれている感覚がありますけど、いざガンバに戻ると、中盤にはイスラエル代表のネタ(ラヴィ)やダワン、(山本)悠樹くんがいて、前線にはチュニジア代表の(イッサム)ジェバリがいるなかで、「自分が指揮を執るんだ」っていう感じでやれなかった。マインドのところが代表とは違うと感じていて。そこはもっと強くなっていかなければならない部分だし、もどかしさというより、「自分はまだまだやな」っていう感じですね。

「うわ、光毅、2点も取ってるわ」

シント=トロイデンでは途中出場が続く。技術レベルに関してフィンク監督からの評価が高いだけに、ピッチ上でより存在感を発揮したい 【©︎STVV】

――ガンバでは遠慮してしまった?

 遠慮したというか……ヴェルディは育ってきたクラブだったからやりやすさがありましたけど、ガンバにポンと入って、チームには宇佐美(貴史)くんや(倉田)秋くんといった誰もが知るレジェンドの選手たちもいる。そうしたなかでも、自分の我を出せないといけないな、ってすごく思ったし、自分を主張しないと認めてもらえない世界だということは、すごく実感しましたね。そうしたものは海外では特に必要だと思うので、今思えば、海外に行くための学びの時間でもあったのかなって。ヴェルディから海外に行くより、ガンバという環境に身を置くことで感じるものがあったので、その意味でもガンバに移籍して良かったなって思っています。

――まさのその自己主張、マインドのところが欧州では問われると思います。

 宇佐美くんも言っていましたね。バイエルンはとんでもない選手ばかりで、「自分を主張できないと終わるから」って。そうした経験談も聞けたので、ガンバに行って本当に良かったと思います。だから、シントでも「俺がゲームを作っているんだぞ」っていう心持ちでやっていきたい。それには自信がすべて。自信がないと自分のプレーも良くならないので、マインドのところは大事にしたいですね。

――海外に挑戦するにあたって、U-22日本代表でチームメイトである斉藤光毅選手(スパルタ・ロッテルダム)や鈴木唯人選手(ブロンビー)とは話をしましたか?

 唯人とは代表活動中は一緒にいることが多いのでよく話しますよ。唯人は昨シーズン、ストラスブールでやっていて、「自分のチームには元フランス代表選手がいる」とか、「相手チームにとんでもない選手がいた」とか。そういう話を聞いて、自分も早くその環境に身を置きたいと思ったし、すごく魅力的な話だなって。だから、代表活動に行くたびに海外に挑戦したいという思いが増していきましたね。

――鈴木選手から「海外ではこうしたほうがいい」といったアドバイスは?

 そんな深い話はしてないですけど、考えすぎないのが大事なのかなって今、自分では思っています。思い詰めないというか、いい感じの適当さが必要なのかなって。

――ヴェルディ時代の2年目に同期の藤田譲瑠チマ選手にポジションを奪われ、考えすぎてスランプに陥った失敗を繰り返さないように?

 そうです(苦笑)。悪いことはとりあえず忘れるのがいいかなって。

――同世代以外にも、欧州でプレーする身近な選手として、アンダーの代表で一緒にプレーした菅原由勢選手(AZ)や中村敬斗選手(スタッド・ランス)、ヴェルディで2個上だった藤本寛也選手(ジル・ヴィセンテ)がいますが、意識するものですか?

 いや、1個上はあまり意識してないですね。寛也くんも情報は入ってきますけど、特に連絡を取ったりはしてないです(笑)。

――意識するのは、鎌田大地選手(ラツィオ)や遠藤航選手(リバプール)、冨安健洋選手(アーセナル)など、シント=トロイデンから5大リーグにステップアップしていった先輩たち?

 彼らのことは常に見てます。あとは、やっぱり同世代が気になりますね。この前も、朝起きて、「うわ、光毅、2点も取ってるわ」って(笑)。刺激を受けました。

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著者プロフィール

東京都生まれ。明治大学を卒業後、編集プロダクションを経て、日本スポーツ企画出版社に入社し、「週刊サッカーダイジェスト」編集部に配属。2012年からフリーランスに転身し、国内外のサッカーシーンを取材する。著書に『黄金の1年 一流Jリーガー19人が明かす分岐点』(ソル・メディア)、『残心 Jリーガー中村憲剛の挑戦と挫折の1700日』(講談社)、構成として岡崎慎司『未到 奇跡の一年』(KKベストセラーズ)などがある。

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