五輪レースで大きく出遅れた奥原希望 厳しい現実の中で、描き続ける巻き返しのストーリー

平野貴也

本調子にはまだほど遠いが、奥原がようやく実戦の場に帰ってきた 【撮影:平野貴也】

 ずっと目に涙をたたえていたが、流すことなくこらえた。本調子には程遠いパフォーマンスしかできない悔しさと、1試合を戦い抜いた喜びや誇りが交錯していた。25日に代々木第一体育館で開幕したバドミントンの国際大会ダイハツジャパンオープンに出場した女子シングルスの奥原希望(太陽ホールディングス)は、1回戦でキム・ガウン(韓国)に0-2(14-21、10-21)で敗れた。

 苦戦の理由は明らかだった。左足ふくらはぎには、テーピング。長所であるフットワークの鋭さがなく、バックハンドの反応は明らかに遅かった。第2ゲームに入ると息が上がり、コートサイドに荒い呼吸音が届いた。驚異的な粘り強さで世界の頂点に立ったこともある彼女のトップパフォーマンスには程遠いコンディションだった。それでも、涙をこらえながら「今日、1試合フルで戦えたことが自分の中ですごくポジティブ」と前向きに話したのは、1試合を戦い抜いたのが3月のスイスオープン以来、4カ月ぶりだったからだ。

度重なるケガで相次ぐ欠場、五輪レースでようやく1試合をプレー

 奥原は、2016年リオデジャネイロ五輪で銅メダルを獲得し、21年の東京五輪にも出場。日本では、世界選手権を2連覇中の山口茜(再春館製薬所)と並ぶ2強の存在で、世界ランクもトップクラスを維持していた。しかし、東京五輪後、奥原の戦績欄には「Walk Over(棄権)」の文字が並んでいる。

 同年冬の世界選手権を欠場。昨年は、本調子ではないながらも3月の全英オープンから試合を重ね、ベスト8に入って世界ランキングのポイントを稼ぐことはできていた。しかし、夏に日本で行われた世界選手権とジャパンオープンは、右足太ももの負傷により欠場。今年は1月から国際大会に出場したが、3月に負傷。さらに、復帰前にケガが重なり、出場予定だった大会を続々とキャンセル。6月のインドネシアオープンは、わずか4分で棄権。5月の五輪レース開幕後、1試合を戦い抜いたのは、今回が初めてだった。

五輪レース出遅れに「焦りは、とっくのとうに過ぎている」

 試合復帰により、欠場続きの状況から前進した。ただし、完調には程遠く、五輪出場の可能性を満足に追えるのか、気がかりだ。山口が世界ランク1位に君臨していることを考えると、日本から2人出場できる「24年4月30日更新の世界ランキングで16位以内に日本から2人以上」の条件を満たし、なおかつ日本勢で2番手に入らなければならない。25日に発表された最新の世界ランクでは、35位まで後退して日本勢で5番手だ。

 焦りはないのかと聞かれた奥原は「焦りは、とっくのとうに過ぎているというか。リオも東京も、レースも本番の試合も、いろいろなドラマがあった。自分の中では、パリも最初からうまく行くことはないと覚悟はしていたので、自分の道を見つけながら進んでいければと思います」と苦難のスタートとなった3度目の五輪挑戦について話した。明らかな、そして大幅な出遅れを受け入れて、なおも自分の可能性を諦めてはいなかった。

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著者プロフィール

1979年生まれ。東京都出身。専修大学卒業後、スポーツ総合サイト「スポーツナビ」の編集記者を経て2008年からフリーライターとなる。主に育成年代のサッカーを取材。2009年からJリーグの大宮アルディージャでオフィシャルライターを務めている。

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