町田が直面した新国立の難しさ J2首位攻防戦で勝ち切れなかった理由とは?
大観衆で届きにくくなった声
後半の町田は国立の空気に「飲み込まれて」しまった 【(C)J.LEAGUE】
「1点目を決められたことでどんどん(後ろが)重たくなった。ゴールを守る意識が強すぎて、人に行けなくなって、後ろが『人はいるけどボールに行けてない状況』になっていた」
町田はJ2最少失点の堅守を誇っている。ゴール前で見せる身体を投げ出すシュートブロック、ハードワークや戦術遂行に加えて、試合中の『修正』『コミュニケーション』で問題を解決している場面が多い。ただし4万人近くが入った国立は声が届きにくくなっていた。後半にヴェルディサポーターを背にしていたポープはこう振り返る。
「人はいたけれど、人が決まらなかった。それはコミュニケーションで解決できますけど、1点取られたことで雰囲気的に飲み込まれている感じでした。チャンスになると(ヴェルディサポーターの)ボルテージが上がって、お客さんも多かった。声が届かなかったですね。センターバックを呼んでも2、3回呼ばないと気づかなかったり、それくらい聞こえづらかった」
73分の交代からピッチに入ったMF稲葉修土は、コーチングに強みを持つ選手だが、彼もこう述べる。
「DFラインのスライドを促そうとしたのですが、声の届かなさがいつもと違いました。近づけば聞こえる範囲だったので、(スライドの重要性を)伝えてはいましたけど、ただ3バックを今シーズンはあまりやっていなかったので、その対応が全体として難しかった。3枚のいいところはスライドしても(ゴール前に)2枚残っているところだと思いますけど、真ん中に固まりすぎていると少し感じました」
スキルや戦術はもちろんだが「声が届きにくい中でどうコミュニケーションをするか」もサッカーの一部だ。町田が勝ち切れなかった最大の理由はそこにある。
劇的な変化の中で
教員が主導して立ち上げた、少年サッカーからボトムアップで積み上げた市民クラブは、紆余曲折を経て国立にたどり着いた。町田が過去に何度かプレーした国立西が丘サッカー場ではなく『ザ・国立』だ。
J2昇格後も人工芝のグラウンドで、夏場は足裏に水ぶくれを作って練習していた選手たちが、今は広大な天然芝で練習をしている。関東リーグ時代は練習後にサポーターの手作りおにぎりを食べていた選手たちは、新築のクラブハウスで「アスリート食」を食べている。それは2018年秋に新オーナーなった大手IT企業サイバーエージェント社の力であると同時に、歴史を紡いできた人々の功績だ。
この5年でクラブの立ち位置は劇的に変わった。良くも悪くも町田が「語られる」機会が増えている。
まず町田を地理的に見ると、北を東京V、東を川崎フロンターレ、南を横浜F・マリノスと横浜FC、西をSC相模原とJクラブに包囲されている。特に東京Vは読売クラブ時代から町田のサッカー少年たちの憧れで「町田出身のヴェルディOB」もかなり多い。
そして首都圏にはプロスポーツ、エンターテインメントのライバルが無数にある。そんな環境では結果にせよ強引な集客にせよ、ともかく何かで突出しないと認知すらされない。
町田に必要な経験と成長
2012年のJ2最下位、降格はクラブにとって悔しい記憶だ 【(C)J.LEAGUE】
もちろん町田は発展途上で、J1レベルに比べれば戦力、集客ともまだ物足りない。とはいえ名門クラブのサポーターから「相手にしてもらえる」「話題にしてもらえる」ようになったことが、とてつもなく大きな前進だ。
今の町田に足りないものを知りつつ、未来への手応えを感じた――。そんな国立の激闘だった。