大阪桐蔭の韋駄天・山田がプロ入りした先輩から学んだモノ 敗戦を乗り越え、最後の夏も「平常心で」

沢井史

入学直後は空回りの日々

山田は小柄ながらパンチ力あふれる打撃が魅力。ケガ人が多かったこの春の公式戦でもフル稼働で上位打線を担った 【写真:沢井史】

 大阪桐蔭の現3年生で経験値の高い選手といったらまずエースの前田悠伍投手だが、野手では山田太成だろう。山田は2年春の府大会で背番号16をつけながら「1番・左翼」でスタメン出場し、準優勝した春の近畿大会も先発。新チーム以降は1番もしくは2番打者として。打線をけん引してきた。

 50mのタイムは5秒8。アピールポイントを尋ねると「足です」と即答するように、2年時から、出塁すれば足でかき回し、中軸に座る松尾汐恩(現DeNA)ら強打者らの前でチャンスを拡げてきた。

 山田の快足は上級生の中でも目を引いた。大阪桐蔭は次の塁を狙う果敢な走塁が代名詞で、山田の積極的な『足攻』は現チームの攻撃に欠かせない。その俊足は、2018年の春夏連覇に貢献した藤原恭大(現ロッテ)レベルと称賛する者もいる。
 
 小学生の時に「オリックスジュニア」に選出され、三田シニア時代もタイガースカップに出場。中学時代までの球歴だけを見てもエリートと言われてもおかしくない。
 
 だが、そんな看板を引っさげて入学しても、大阪桐蔭でレギュラーを獲るために、もがき続けた時期があった。

「1年生の時は試合に出たいという気持ちが強すぎて、練習で打席に立っても欲が出すぎて冷静になれなくて、なかなか結果が出ませんでした」

 入学当初は当時の3年生のバッティングに圧倒された。その頃、チームの打線の中心を担っていたのは主将の池田陵真(現オリックス)。決して大柄ではないが、がっちりした体から面白いように鋭い打球を飛ばしまくっていた。ポジションも同じ外野手。一緒にノックを受けるたびに、ひとつひとつの動きに目が留まった。

「とにかくすごかったです。池田さんは、ひとつひとつのプレーを丁寧にされていて、勉強になることばかりでした。普段から自主練習などをして努力をしておられましたし、そういう人だからあれだけ打てるんだと思いました」

 何より、池田はどんな状況にも表には出さず、動じない冷静さがあった。単にうまくなりたい、試合に出たいという気持ちだけではベンチ入りはできない。その場面に応じて何をすればいいのか。素早く状況判断ができる適応力も大事だと痛感した。

※リンク先は外部サイトの場合があります

昨秋に大活躍、神宮大会では2年連続V貢献

 そんな中、チームがセンバツで優勝した直後の2年春の大阪大会で初めてメンバーに入り、1番を打つことになった。

「自分を1番で起用してくれた西谷(浩一)先生の気持ちに応えられるようにという気持ちもありました」。気合だけは誰にも負けないつもりでいたが、やはり公式戦独特の緊張はあった。スタメンに定着とまではいかなかったが、本気で頂点を狙いに行く先輩たちが作るベンチの雰囲気を肌で感じられたことは、新チームでの経験につながっている。

 昨秋の公式戦では2番打者としてチームトップの,439の打率を残した。特に明治神宮大会では全4試合でヒットを放ち、初戦の東邦戦、決勝の広陵戦は3安打で大量得点につなげた。持ち前のスピードを生かした走塁も光り、2年連続の優勝にも大きく貢献した。

 今春のセンバツでも4試合で打率は3割を超えた。ただ、連覇を目標としていたことと、敗れた準決勝の報徳学園戦では無安打に終わり、チャンスすら作れなかったことが今も心の中に重くのしかかる。

「センバツでは報徳に負けて、一からやり直そうと思いました。(春は前田が不在の間の)キャプテンの笹井(知哉)を中心に、南川(幸輝)、小川(大地)、村本(勇海)の3人の副キャプテンを中心にチームとしても一から作り直そうと、みんなで言い合っています。自分も、外野手の中では引っ張っていけるようにと思ってやってきました」

1/2ページ

著者プロフィール

大阪市在住。『報知高校野球』をはじめ『ホームラン』『ベースボールマガジン』などに寄稿。西日本、北信越を中心に取材活動を続けている。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント