報徳学園の堅守を支える守りの要 苦労人・竹内颯平がセンバツで得た自信と、夏への想い
ショートのポジションから大きな声と明るい表情でチームを盛り立てた竹内。ムードメーカーらしいキャラクターも生かし、聖地を満喫した。 【写真提供:沢井史】
片道2時間の通学後、自宅で練習を重ねて力をつける
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報徳学園OBで1年から遊撃のレギュラーだった小園海斗(広島)に憧れ、名門校の門を叩いた。出身は姫路市。報徳学園のある西宮市からは60キロほど離れており、電車で通学するには学校から自宅まで2時間近くかかる。報徳学園では遠方の選手は学校から自転車で15分ほどのところにある下宿に入ることが多いが、竹内は自宅通学を選んだ。
「自宅でも練習したかったからなんです」。竹内は理由をこう口にした。
平日は学校での練習後に約2時間かけて帰宅し、夕食などを済ませると自宅の敷地内にある練習場に向かう。その頃にはだいたい夜の10時半ごろになっているという。
もともとは物置のような小屋だったが、父・勝美さんが改築を重ねて作成が進んだ。大きさは12メートル×25メートルほどで、室内練習場のような広さがある。
「最初に置きティーをやって、その後はお父さんが投げるボールを打ちます。打ち込みだけではなく、守備の基本練習もやります。一塁の三遊間、二遊間、ゲッツーの三遊間、二遊間。お父さんに転がしてもらうんです。最後は自宅前で素振りをして終わります」。
以前は4歳上の兄・航大さん(上武大4年)も一緒に練習し、親子3人で汗を流してきたが、航大さんが大阪の高校に進学し入寮したため、現在は父と2人で特訓。学校での全体練習の後に、自宅で個人の課題に2時間ほど向き合う日々を過ごす。ストイックな毎日を送るが、「うまくなりたい」という意識が誰よりも強い竹内の表情には充実感が漂う。
熾烈な競争を勝ち抜き、2ケタの背番号からレギュラーへ
1年下にセンバツで背番号12をつけ、主にサードで出場した西村大和が当初はショートのレギュラーとして期待されていたが、昨秋の県大会前に西村が脚の靱帯を負傷。その影響もあり、背番号12をつけながら竹内はスタメン出場を重ねた。下位打線ながら安定した守備力と共に、打撃でもチャンスメークで貢献。一目置かれる存在となり、近畿大会からは背番号が6になった。
大角健二監督は竹内についてこう口にする。
「昨秋、特に県大会では上位打線の調子が上がらなかった中、下位にいた竹内や林がよく打ってくれたことが大きかったです。竹内は守備でもそうですが、打撃でも上位に繋ぐ役割を果たしてくれました」
昨秋の近畿大会は準優勝。決勝では大阪桐蔭の前田悠伍を相手に3安打完封負けを喫したが、その3安打のうち2安打は竹内が放ったものだった。
だが、世代最強の左腕から放った2本の安打よりも、大阪桐蔭に敗れたこと、そしてその試合で自らが喫したエラーの方が悔しくてたまらなかった。
だからこそ自分と向き合う時間は大事にし、冬場も自宅での練習に力がこもった。実感したのはパワー不足。細身の身体を太くするため、食事量を増やした。3食以外にも朝、夕は母が持たせてくれたおにぎりをほお張り、秋から春にかけて体重は6キロ増えた。