高橋大輔、ジェットコースターのような競技人生 ハッピーエンドで締めくくった、二度目の現役生活
国別対抗戦では「やりたいことを最後に全部できた」 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】
再演の『オペラ座の怪人』が最後の演技に
現役最後の試合となった世界国別対抗戦(4月、東京体育館)のフリー、リンクに入って滑りながら名前を呼ばれるのを待っていた高橋大輔は、そう実感した。自身の演技を待つ会場の様子を目に焼きつけようと、今までにないほどゆっくりと会場を見渡す。温かい会場の雰囲気が、緊張していた高橋の背中を押した。
「この演技、頑張るか!」
同じ東京体育館で行われた2007年世界選手権で、高橋はフリー『オペラ座の怪人』を滑り、男子シングルの銀メダルを獲得している。その16年後、同じ会場でアイスダンサーとして再び『オペラ座の怪人』を演じた高橋は、村元哉中と共に完璧な滑りをみせた。
「本当にすごくいい演技ができて、(いつもは)あまりしないのですがガッツポーズもできて、やりたいことを最後に全部できた試合になったので。国別対抗戦はそういう意味で、自分にとってすごく思い出深い試合になりましたね」
喝采に包まれて座ったキスアンドクライで表示された点数は、自己ベストを更新する116.63。高橋は会心の『オペラ座の怪人』で、選手生活の幕を下ろした。長く曲がりくねった道を歩んできた高橋を、スケートの神様が祝福しているようだった。
シングルスケーターとして2010年バンクーバー五輪銅メダル獲得、2010年世界選手権優勝と日本男子の歴史を作ってきた高橋は、2014年10月に一度引退している。高橋の華やかな経歴の裏側には、怪我との戦いがあった。
バンクーバー五輪の銅メダルは、2008年に右膝の前十字靭帯断裂と半月板損傷を負い、手術と壮絶なリハビリを経て復帰した末につかんだものだ。また、ソチ五輪が行われた2013-14シーズンには右脛骨骨挫傷を負っている。2014年2月のソチ五輪は6位という成績で戦い終えたものの、約一か月後にさいたまスーパーアリーナで行われた世界選手権の出場は断念せざるを得なかった。
5月2日に都内のホテルで行われた二度目の現役引退を発表する会見で、高橋はシングルスケーターとして迎えた一度目の引退当時との心境の違いについて語っている。
「(2014年の一度目の引退では)世界選手権に出場する予定が、怪我で出場することが難しくて。フェイドアウトじゃないですけど、そのまま引退をしてしまったという感じで、自分の中でも本当にすっきりしないというか。シングルの後半2年間は自分に自信をなくして、スケートをすること自体嫌な気持ちでの引退だったので。
それと比べると今回の引退は、現役復帰した時から『自分はスケートを軸にしてやっていくために、この現役復帰をしたんだ』というところからのスタートで。もう次にやりたいことが明確にありますし、一度引退したからこそ、引退した時の心の準備も『こういうふうにしたらいいんだろうな』というのが分かる」
スケートとの向き合い方を見失って引退した高橋が2018年に競技に復帰したのは、やはりスケートを軸にして生活していきたいという自らの思いに気づいたからだ。その高橋がアイスダンスに興味を持っていることを知り、声をかけたのが村元だった。故クリス・リードとのチームで2018年四大陸選手権銅メダル獲得、2018年平昌五輪15位という実績を持つ村元は、リードとのペアを解消した後は競技から離れていた。ためらいもあったという村元の勇気ある申し出により、高橋のアイスダンサーとしての歩みが始まる。
2019年全日本選手権でシングルスケーターとして最後の演技を終えた高橋は、2020年から村元と共にアメリカ・フロリダでアイスダンスの練習を始める。アイスダンサーとしての選手生活は3シーズンで終わったが、2022年四大陸選手権で銀メダルを獲得するなど驚異的な成長を遂げた3年間だった。
「二度目の引退ということで、スケート連盟の規定では次の復帰はできないが、悔いはないのか」という問いに、高橋は「全部準備ができている中で引退できたので、もう大丈夫かな」と晴れやかに笑った。
「本当に自分の中で、すっきりやり切れたなと思っています」