羽生結弦が『オペラ座の怪人』を滑った意味 思い残したものを拾い上げ、新たな息吹を吹き込む

沢田聡子

苦難の2014-15シーズンに滑っていた『オペラ座の怪人』

2014年のNHK杯で滑った『オペラ座の怪人』は、羽生にとって特別な意味のあるプログラムだ 【写真は共同】

「この『オペラ座の怪人』というプログラムは2014年―15年シーズンでやっていて、中国杯での衝突の事故とか、また自分が病気や怪我にすごく苦しんだシーズンのプログラムなので、長い期間自分で『もうこれは滑らない』と思って、ある意味封印してきたプログラムです」

 3月30日、東和薬品RACTABドーム(大阪府門真市)で行われた「スターズ・オン・アイス2023」大阪公演初日後、取材に応じた羽生結弦はそう語っている。

 『オペラ座の怪人』は、2014年ソチ五輪で金メダルを獲得した羽生が、その翌シーズンに滑ったフリープログラムだ。五輪王者となった羽生にとり、中学生の頃から滑りたかった『オペラ座の怪人』は、長年温めた上で満を持しての選曲だったという。また、『オペラ座の怪人』で初めて振付を依頼したシェイ=リーン・ボーン氏とは、連覇を果たした2018年平昌五輪シーズンのフリー『SEIMEI』を生み出す名タッグとなった。

 しかし、ソチ五輪の翌季となる2014-15シーズン、羽生は次々と困難に見舞われた。2014年11月に行われたグランプリシリーズ中国杯では、フリー前の6分間練習で他の選手と衝突。怪我した部位は5か所にわたり、頭と顎にテープを施した状態で『オペラ座の怪人』を滑り切っている。

 車椅子で帰国した羽生が3週間後に出場したNHK杯の会場は、なみはやドーム(現・東和薬品RACTABドーム)だった。十分な調整ができないまま臨んだNHK杯、羽生はショート5位でフリーを迎える。

 フリーでは4回転サルコウが2回転になり、4回転トウループは3回転になって転倒、さらにはトリプルアクセルが1回転になるミスもあった。コンデイションを考えればその他のジャンプをまとめただけで健闘といえる状況だったが、総合4位という結果を受け、羽生は「これは怪我の影響じゃなくて、本当に僕の今の実力」と自らに対し厳しい言葉を残している。

 その後、羽生は12月のグランプリファイナルで優勝を果たすも、2014年の年末には全日本選手権後に尿膜管遺残症の手術を受けている。さらには2015年2月に練習を再開した際には、右足の捻挫にも見舞われた。

 2014―15シーズンは、五輪金メダリストとなった羽生を試すかのように試練が続くシーズンだったのだ。羽生が、苦い記憶が染みついた『オペラ座の怪人』を “封印”したのもうなずける。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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