Jリーグ“天日干し”の秘話 ~前チェアマン・村井満回顧録~

「異端のJリーグチェアマン」はなぜ誕生したのか? 村井満氏が今だから語る秘話(1)

宇都宮徹壱
アプリ限定
 連載第1回は、村井満氏のJリーグチェアマン就任(2014年)についての秘話。

 Jリーグチェアマンは、現在の野々村芳和氏で6代目。歴代のチェアマンは、Jクラブの社長経験者、もしくはサッカー界に功績を残した人物ばかりである。ただし、村井氏を除いてーー。

 村井氏のサッカー経験は、実は高校時代で終わっており、サッカー界ではまったくの無名。チェアマン就任以前、Jリーグの社外理事を6年務めていたものの、第5代チェアマン候補としてその名が挙がった時には「村井って誰?」というのがサッカー界での反応だった。

 しかし、ビジネス界隈における村井氏のキャリアは、実にまばゆいばかりである。

 早稲田大学法学部を卒業後、1983年より日本リクルートセンター(現・リクルート)入社。2000年に同社執行役員となると、2004年にリクルートエイブリック(現・リクルートキャリア)代表取締役社長に就任。2011年にはリクルート・グローバル・ファミリー香港法人(RGF HR Agent Hong Kong Limited)社長、さらに2013年には同社会長に就任している。

 村井氏以前にも、クラブの関連会社で社長を経験している元チェアマンはいる。だが、時価総額8兆円の企業で執行役員となり、前職がグローバル企業の社長や会長となると、これまでまったく例がなかった。まさに「異端のチェアマン」だったのである。

 なぜ「異端のチェアマン」は誕生したのか? 当の村井氏に、振り返ってもらおう。

チェアマン就任間もない2014年、著者による最初のインタビューに応じる村井氏 【宇都宮徹壱】

チェアマン就任要請を冷静に受け止めた理由

 チェアマン就任の打診をいただいたのは、2013年の11月27日のことです。今は閉店していますが、JFAハウスから歩いて10分くらいのところにある、すき焼き屋の『江知勝』が舞台でした(笑)。
 
 就任を打診していただいたのは、当時チェアマンだった大東(和美)さん、そして専務理事の中野(幸夫)さんも同席していました。中野さんからは事前に「そのうち大東さんから話があるから」という前フリがあったんですよ。

 なぜ日付を明確に言えるかというと、日記代わりに付けていた当時のメモが手元にあるからです。ちょっと読んでみますね。《少し早く着き、上野から不忍方面に歩く。湯島天神を経由して、赤門から東大キャンパスへ。安田講堂裏から江知勝へ》。お店に入ったら《すでに両者は到着しており対面。仲居さんを遠ざけ、酒が入る前にしばしの歓談。盛岡訪問の件などを話す》。盛岡に行っていたみたいですね。

 ひと通りの歓談後、大東さんから単刀直入に「村井さんに後任を託したい」と言われました。実はその時は、わりと冷静に受け止めていたんですよ。中野さんからの前フリで、薄々感じていましたので「ええっ?」という驚きはなかったです。それともうひとつ、少しだけ伏線めいたことがありました。
  • 前へ
  • 1
  • 2
  • 次へ

1/2ページ

著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント