卒業後はドイツに渡る高校ナンバー1ストライカー 神村学園・福田師王は心身ともに最高の状態で選手権へ

松尾祐希

選手権を目前に控えた12月20日に、福田のボルシアMG入団内定の記者会見が行われた。ドイツの地で順調に成長すれば、長らく絶対的なストライカーがいない日本代表の救世主になるかもしれない 【松尾祐希】

 第101回全国高校サッカー選手権大会の主役候補筆頭と言えるのが、神村学園の福田師王だ。すでに高校卒業後はドイツのボルシアMGに入団することが決定。高校ナンバー1ストライカーは、ここまでいかにして成長してきたのか。そして、自身最後の選手権でどんなパフォーマンスを見せてくれるのだろうか。

一言で言えば野性味あふれるストライカー

 先日閉幕したFIFAワールドカップ・カタール大会において、日本代表のFW陣が奪ったゴールは2。浅野拓磨(ボーフム)と前田大然(セルティック)がともに1ゴールを挙げただけだった。優勝したアルゼンチン代表はリオネル・メッシ(パリSG)が得点ランク2位の7ゴール、準優勝のフランス代表はキリアン・エムバベ(パリSG)が決勝でのハットトリックを含む同1位の8ゴールを奪っている。

 あと一歩のところでベスト8入りを逃した日本にとって“絶対的なストライカー”を育てることは喫緊の課題だが、それを解決しうる選手が高校サッカー界に現れた。神村学園3年、福田師王だ。高校卒業後はブンデスリーガ1部・ボルシアMGでプレーすることが決まっており、12月20日には入団内定会見が行われた。

 178センチ・70キロの体格は、世界基準で考えれば決して恵まれているわけではない。だが、当たり負けしない身体と空中戦の強さ、裏へ抜け出すスピードは高校年代ではずば抜けており、同級生たちが止めるのは至難の業だ。それだけではない。なにより彼は得点感覚に優れている。これこそが一番の武器だ。

 ゴールパターンが豊富で、クロスに合わせるヘディング、裏に飛び出してからのシュート、こぼれ球に反応するスピードはどれも一級品。ミドルレンジからのシュートも得意とし、一瞬の隙を突いてハーフウェイラインあたりから決めたゴールもいくつかある。

 一言で言えば、“野性味あふれるストライカー”。その能力はライバルたちも認めるところで、U-19日本代表候補のFW小林俊瑛(3年/大津)や清水入団内定のFW森重陽介(3年/日大藤沢)らもライバルとして福田の名を挙げている。

 すでに飛び級でU-19日本代表に招集された経験も持つ福田だが、中3の時点では無名の存在だった。当時はサイドバックからトップ下にコンバートされたばかりで、体重は50キロをようやく超えたぐらい。しかし、その年の10月に開催された国体で、16歳以下の選手が出場する少年の部の鹿児島県選抜に飛び級で選ばれ、活躍。翌年2月にはU-17日本代表に招集されて初めて日の丸を背負った。

 それでも高卒でプロ入りできるような選手とは言えず、年代別代表に初めて選出された時には、同じく初招集だった1学年上のチェイス・アンリ(当時尚志/現シュツットガルト)と2人で、「来る場所間違った。帰りたいよな」と何度も愚痴をこぼしていたという。

 なぜ、福田は高校3年間で大きな成長を遂げ、高卒で欧州にチャレンジできるような選手になったのだろうか。そしてなぜ、Jクラブではなくヨーロッパのクラブを選んだのだろうか。

肉体改造により、2年生で高校年代最高のストライカーに

取り立てて大きくはないが、高い打点から繰り出すヘディングシュートも武器だ。地道に取り組んできた肉体改造により、様々なフィニッシュパターンを持つ万能のストライカーへと進化した 【松尾祐希】

 高校入学直後からチームでレギュラーを勝ち取り、得点を重ねてきた。だが、当時は身体ができ上がっておらず、華奢で、相手DFを弾き飛ばすような強さがあったわけではない。跳躍力やスピードが特別あったわけでもなく、ゴールパターンもまだ多くなかった。タイプとしては元日本代表の佐藤寿人や元イタリア代表のフィリッポ・インザーギに近く、相手と駆け引きをしながら狡猾な動きでマークを外してゴールを奪うストライカーだった。

 1年時の選手権に主力として出場し、3試合で1ゴール。だが、3回戦の富山第一戦では、決められそうなシュートがいくつかありながら無得点に終わり、チームもここで敗退した。「勝利を引き寄せる力がないといけない」と、試合後は大粒の涙を流してさらなる成長を誓った。

 福田は2年生になると、プレースタイルが徐々に変わっていく。

 中3の2月に初めて代表に招集された際に、森山佳郎監督からフィジカルの強化について助言を受け、実は高校1年時からコツコツと肉体改造に励んでいた。その成果が2年生になって現れたのだ。

 食事の量を増やし、筋力トレーニングにも力を入れてきたが、特に尻周りの筋肉を鍛えたことでスピードと跳躍力が飛躍的にアップ。ゴールパターンが増え、対空時間の長いジャンプから繰り出すヘディングシュートやミドルレンジからのシュートが武器になったのもこの頃だった。

 肉体改造の成果は、ゴールという結果にも現れた。インターハイでは準々決勝で敗退したものの、自身は松木玖生(青森山田/現FC東京)と並んで得点王に輝く。世代別代表に継続して招集されるようになり、複数のJクラブが動向を追うなど、気がつけば福田は最終学年を待たずに高校年代ナンバー1ストライカーと呼べる選手に成長していた。

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著者プロフィール

1987年、福岡県生まれ。幼稚園から中学までサッカー部に所属。その後、高校サッカーの名門東福岡高校へ進学するも、高校時代は書道部に在籍する。大学時代はADとしてラジオ局のアルバイトに勤しむ。卒業後はサッカー専門誌『エルゴラッソ』のジェフ千葉担当や『サッカーダイジェスト』の編集部に籍を置き、2019年6月からフリーランスに。現在は育成年代や世代別代表を中心に取材を続けている。

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