卒業後はドイツに渡る高校ナンバー1ストライカー 神村学園・福田師王は心身ともに最高の状態で選手権へ
強引なプレーに走って本来の良さを失う
2年生にして高校年代最高のストライカーと呼べる存在になったが、強引なプレーが多くなり、元々あった良さを見失い苦しんだ時期も 【Getty Images】
「武器を増やそうと思ったら、自分が得意にしていたことができなくなった」(福田)
夏以降、フィジカルで競り勝つシーンが増えた。ただそれは、身体の強さを活かした強引なプレーに走りがちになったからだ。味方の選手も「福田に預ければ何とかしてくれる」と感じ、良くない意味で彼に頼ってしまう嫌いがあった。その結果、武器にしていた“動き出しの良さ”が失われ、それを取り戻そうと苦慮。昨季の選手権予選前も頭を悩ませ、迎えた本大会では1ゴールを挙げたものの、チームは1勝もできずに姿を消した。
そうしたなかで福田は昔のプレー動画を何度も見返し、感覚を取り戻していく。春先には力強いプレーが戻り、現在のような豊富なゴールパターンを持つストライカーとして抜群の存在感を示せるようになった。
しかし、その一方で再び頭を抱える事態が起こる。最終学年を迎えると、今度はコンディションが安定しなかったのだ。
卒業後の欧州挑戦を目指して渡欧し、Jクラブの練習にも参加。そうした学校外での活動により疲労が溜まり、怪我を抱えながらのプレーが続いた。万全とはとても言えない状態でピッチに立ち、夏のインターハイでは初戦で履正社に敗れて不完全燃焼。何度も「ゴールを決められなかった自分のせい」という言葉を繰り返し、誰よりも悔しさを噛み締めていた。
チームを日本一に導くことが一番の恩返し
下級生の時から大きな注目を集めていたが、選手権は1年時が3回戦、2年時が初戦敗退に終わった。高校サッカーの総決算となる最後の大舞台で、文字通り主役になれるか 【松尾祐希】
「最初は悩んでいたんですけど、正式にオファーが来た時は行こうと一瞬で決めた」
12月20日に行われた入団内定会見で福田は心境を語ったが、クラブのバックアップ体制が整っていたことも背中を押した理由のひとつだ。
高校を卒業してすぐに海を渡った選手が成功した事例はこれまでほとんどなく、挫折して数年後に国内に戻ってくるケースも多い。そうした不安があるなかで、クラブ側がドイツ語の習得プログラムを用意した点はもちろん、U-23チームに在籍しながらも状況によってはU-19チームでのプレーも可能という提案は、福田にとって大きな意味があった。
特にストライカーは出場機会によって成長スピードが左右される。どれだけユース年代でゴールを重ねていても、プロ入り後にプレーする機会が限られれば得点感覚が鈍ってしまう。Jリーグでも、高卒のFWが結果を残せるようになるのは5年目以降というケースが多い。1年目、2年目から活躍したのは城彰二、柳沢敦、大久保嘉人などごく一部で、若手の頃に出番を得られずに消えてしまった選手も少なくない。出場機会を得られたからといって成長できるとは限らないが、そうした体制が整っている点は福田にとってプラスに働くはずだ。
またドイツには日本人選手が多い点も心強い。ボルシアMGのトップチームに籍を置く板倉滉とシャルケに所属する吉田麻也とはすでに食事をともにし、「早い段階で世界を体験できると将来が変わる」(板倉)、「今すぐにでも来い」(吉田)と金言を授かった。仲の良いチェイスからも、「俺がなんでもしてやるぞ」と心強い言葉をもらっており、新たなチャレンジをする上で最高の環境が整っているのは確かだろう。
進路も決まり、悩まされていたコンディション不良も解消された。今はこの1年で最も調子が良く、最高の状態で選手権に挑める。
「神村学園に恩返しができるように、もっと頑張って結果を残したいし、ドイツでも活躍して日本を背負える選手になっていきたい」とは福田の言葉。神村学園には中等部も含め、6年間お世話になった。自身もチームとしても日本一は手にしておらず、選手権では初のタイトル獲得が一番の恩返しになる。
「一番前にいて駆け引きしながら点を取る。これからはそういうFWが必要になる」と、有村圭一郎監督が期待を込める高校ナンバー1ストライカーのラストダンス――。努力を重ねて磨きをかけてきた才能を証明するべく、最後の大舞台に立つ。
(企画・編集/YOJI-GEN)