高校サッカー選手権「最強校ランキング」

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 全国高校サッカー選手権大会は今冬に第100回を迎えるが、1917年度の第1回大会から昨年度の第99回大会までを通じて、「最強校」と言えるのはどこか? 戦中の第23回と第24回大会は中止になったため、実際に開催されたのは97大会。そのすべての大会の成績をもとに、トップ30校のランキングを作成した。

 優勝=4ポイント、準優勝=3ポイント、ベスト4(準決勝敗退)=2ポイント、ベスト8(準々決勝敗退)=1ポイントと、成績に応じてポイントを設定。そのポイントを集計したのが合計ポイントだ。なお、8校によって争われた第1回大会は、初戦で敗れた4校をベスト8(=1ポイント)とした。

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解説

国見と並び戦後最多の6回の優勝を誇る帝京。関東からはこの東京の雄の他に、第73回大会(1994年度)の決勝で同校と対戦した市立船橋、さらに韮崎が上位10校に入った【写真は共同】

 第1回大会から7連覇を果たした御影師範が1位となった。1936年に同じ兵庫の姫路師範(23位タイ)と統合されて閉校となったが、それまでの実績は圧巻。連覇が途切れた第8回大会も準優勝で、その後も4大会で優勝を飾った。通算11回の優勝はダントツ1位。戦前は出場校が少なく、とりわけ第8回までは関西の学校に限定した大会だったとはいえ、出場14回のうち優勝を逃したのが3回というのは驚異的だ。

 大会の草創期にその御影師範と優勝を争ったのが、神戸一中(3位)、明星商(4位タイ)、広島一中(9位)、京都師範(14位タイ)、そして既述の姫路師範などだ。特に神戸一中は御影師範の8連覇を阻んだ第8回大会を皮切りに、戦前に5度、頂点に立っている。その神戸一中、明星商、広島一中は、それぞれ神戸、明星、鯉城(1949年からは広島国泰寺)と改称した戦後も常連校であり続け、鯉城は1948年度の第27回大会、明星は65年度の第44回大会で日本一となった(明星は習志野と両校優勝)。

 御影師範にわずか1ポイント及ばず2位となったのが帝京だ。1970年代に3回、80年代に2回、90年代に1回優勝。34回出場は4位タイで、そのうち21大会で8強入りを果たしている。名将・古沼貞雄監督がその座を退いてからは成績が振るわないが、長く高校サッカー界をリードしてきたカナリア軍団の輝きは色褪せない。

第89回大会(2010年度)を最後に選手権の舞台から遠ざかっている国見だが、小嶺監督が率いた80年代中期から2000年代中期までの実績は群を抜く。大久保(写真中央)を擁した第79回大会では4度目の優勝【写真:アフロスポーツ】

 その帝京と並び、戦後では最多となる6回の全国制覇を果たしている国見は、前出の明星とともに4位にランクされた。小嶺忠敏監督の下、初出場の第65回大会(1986年度)でいきなり準優勝すると、そのときに屈した東海大一(現・東海大静岡翔洋)に翌年の決勝でリベンジして優勝。第72回大会まで8年連続ベスト8以上と際立った成績を残し、2000年度の第79回大会からは4年連続でファイナリスト(そのうち3回優勝)となった。

 戦後では帝京、国見に次いで多い5回の優勝を誇る市立船橋は7位タイ。決勝での勝率は7割を超え、初優勝を飾った第73回大会(1994年度)では帝京を相手に5-0と圧勝した。

 対照的なのが、同じ7位にランクされた韮崎。まだ旧制の韮崎中だった第18回大会(1936年度)を皮切りに決勝に5度勝ち進んでいるが、そのすべてで涙を呑んでいる。トップ10校の中で優勝経験がないのは、中田英寿氏の出身校として知られるこの高校のみ。それでも1930年代、40年代、50年代、60年代、70年代、80年代のすべてでベスト8入りを果たしているのは、特筆すべきだろう。

 10位に入った四日市中央工は、韮崎が阻まれ続けてきたその“壁”を3度目の挑戦で打ち破った。2回目の出場となった1973年度の第52回大会でベスト4入り。その4年後の第56回大会で決勝まで勝ち上がり、さらに第64回大会でもファイナルに進出したが、いずれも日本一には手が届かなかった。だが、小倉隆史や中西永輔らを擁した第70回大会で、悲願の初優勝(帝京と両校優勝)。三重県勢としても初の全国制覇だった。

1950年代から強豪として知られた藤枝東は、優勝4回、準優勝3回。2007年度の第86回大会では、のちにJリーガーとなる村松(写真左)、河合らを中心に久々に決勝まで勝ち上がった【写真は共同】

 兵庫と並んで最多の4校がトップ30にランクインした静岡勢の中で、唯一トップ10に食い込んだのが藤枝東(6位)だ。2回目の出場となった第35回大会(1956年度)から5年連続で8強入りし、第41回、第42回大会で連続優勝。第45回、第49回大会でも全国の頂点に立った(第45回は秋田商と両校優勝)。

 清水市商(19位タイ。のちに清水商と改称し、2013年に閉校)、静岡学園(19位タイ)、清水東(28位タイ)といった県内のライバル校が全国レベルの強豪にのし上がってからも、超激戦区・静岡の代表としてコンスタントに選手権に出場。第63回、第76回大会ではベスト4、第86回大会では準優勝するなど好成績を収めている。

(企画構成:YOJI-GEN)

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