“豊作”だった第93回大会の選手権からは星稜の原田、前橋育英の小泉らが「大出世」

安藤隆人
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選手権の初戦で1-7の大敗を喫した上に、鼻骨骨折のアクシデントにも見舞われた八千代の永戸だったが、今ではJリーグ屈指の左SBと呼ばれる存在に 【写真:西村尚己/アフロスポーツ】

 12月28日に開幕する第101回全国高校サッカー選手権。ここでは過去10年を振り返って、それぞれの大会で当時はそこまで注目度が高くなかった、あるいは本大会で思うような結果を残せなかったが、その後、大学やプロの世界で大きく羽ばたいた「出世頭」をピックアップする。育成年代に精通するサッカージャーナリスト、安藤隆人氏による2回連載。後編では第91回大会から第95回大会までをプレイバックする。

初戦で鼻骨を骨折してチームも大敗

 第91回大会(2012年度)の決勝は、鵬翔と京都橘という初のファイナリスト同士によるフレッシュな顔合わせとなり、鵬翔が2-2からのPK戦の末に勝利した。

 当時の京都橘には仙頭啓矢(現名古屋グランパス)や2年生エースの小屋松知哉(現柏レイソル)といったタレントがいて、大会に大きなインパクトを残したが、選手権後の成長度で言えば、八千代の左SB永戸勝也を忘れてはならない。

 左サイドで激しいアップダウンを繰り返し、正確なクロスを武器とした永戸は、激戦区の千葉県予選から躍動する。縦を切っても強引に突破を仕掛けるプレーに、対戦相手はかなり手を焼いた。準決勝の日本体育大柏戦で決勝ゴールを挙げると、流通経済大柏との決勝では守備面で大きく貢献。八千代は0-0からのPK戦を制し、3年ぶり9回目の選手権出場を果たすのだ。

 もっとも本大会では、初戦となった2回戦の立正大淞南戦で1-7の大敗を喫し、永戸自身もこの試合で鼻骨を骨折するなど、不本意な形で大会を去っている。しかし、法政大へ進学後は1年次から主力として活躍。得意の攻撃参加と対人守備にさらなる磨きをかけて、17年のベガルタ仙台入りを勝ち取るのだ。

 プロ入り後は、瞬く間にJリーグ屈指の左SBとして知られる存在となった永戸。鹿島アントラーズを経て22年シーズンから横浜F・マリノスに完全移籍すると、ここでも1年目からレギュラーの座を射止め、チームのJ1制覇に多大な貢献を果たしている。
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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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