選手権後に「出世」した各大会の筆頭格は? 直近5年では現横浜FMの角田涼太朗か

安藤隆人
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前橋育英の守備の要として96回大会を制した角田(左/現横浜FM)だが、大学進学を決断したことで、当時はそこまでフィーチャーされなかった 【写真:アフロスポーツ】

 12月28日に開幕する第101回全国高校サッカー選手権。ここでは過去10年を振り返って、それぞれの大会で当時はそこまで注目度が高くなかった、あるいは本大会で思うような結果を残せなかったが、その後、大学やプロの世界で大きく羽ばたいた「出世頭」をピックアップする。育成年代に精通するサッカージャーナリスト、安藤隆人氏による2回連載。前編では直近5年の第96回大会から第100回大会までをプレイバックする。

大学進学を決断して注目度が下がった角田

 流通経済大柏と前橋育英の関東勢対決となった第96回大会(2017年度)の決勝は、後半アディショナルタイムに2年生ストライカーの榎本樹(現松本山雅)が劇的な決勝ゴールを奪い、前橋育英が初優勝を飾った。

 この試合、前橋育英の守備の要としてピッチに立っていたのが角田涼太朗だ。身長181センチの高さと正確無比な左足のキックを持つ角田は、前年の第95回大会にも2年生CBとして出場。決勝まで勝ち進んだが、ここでは青森山田に0-5の大敗を喫していた。屈辱から1年を経て、見事にリベンジを果たした格好だ。

 当時、角田はU-18日本代表に名を連ね、かつ希少価値の高い左利きのCBでもあったため、プロのスカウトの間では知られた存在だった。実際、3年次の春の段階でJ2の2クラブから正式オファーも届いていた。しかし本人は、「高卒でプロの世界で戦っていくビジョンが明確に見えなかった。特にCBという経験と知識が必要とされるポジションで、すぐにプロに行くことが本当に正解なのかと考えた」と悩んだ末に、筑波大への進学を選択する。

「大学の4年間で、ただサッカーをプレーするだけではなく、客観的な分析力や基礎的な知識を身につけた上でプロになりたい」

 将来を冷静に見据えて下した決断に後悔は一切なかったが、しかし当時、1つだけ悔しかった思いがあるという。

「プロ入りが決まっている選手は大会前の取材も多かったし、大会が始まってからも常に取り上げられていた。僕も高卒でプロ入りを選んでいたらそうなっていたわけで、大学進学を決断したことで注目されなくなった悔しさはあります」

 実力的には大会トップクラスの選手だったことは間違いない。しかし、「高卒プロ」という分かりやすい看板がなかったことで、そこまで角田がフィーチャーされることはなかった。

 それでも筑波大進学後はすぐさま頭角を現し、1年次から左SB、ボランチ、CBの3つのポジションをハイレベルにこなす。そして、大学4年の春にJ1の4クラブ、J2の1クラブから正式オファーを受けると、その年の夏に当初の予定を半年前倒しして、激しい争奪戦を制した横浜F・マリノスに加入。プロ2年目の22年シーズンはレギュラーこそ掴めなかったが、J1を制したチームにあってCBとしてリーグ戦18試合に出場(うちスタメンは12試合)を果たした。来季はクラブでのレギュラー定着はもちろん、その先にあるA代表入りも十分に狙えるポテンシャルを秘めている。
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著者プロフィール

1978年2月9日生まれ、岐阜県出身。5年半勤めていた銀行を辞め単身上京してフリーの道へ。高校、大学、Jリーグ、日本代表、海外サッカーと幅広く取材し、これまで取材で訪問した国は35を超える。2013年5月から2014年5月まで週刊少年ジャンプで『蹴ジャン!』を1年連載。2015年12月からNumberWebで『ユース教授のサッカージャーナル』を連載中。他多数媒体に寄稿し、全国の高校、大学で年10回近くの講演活動も行っている。本の著作・共同制作は12作、代表作は『走り続ける才能たち』(実業之日本社)、『15歳』、『そして歩き出す サッカーと白血病と僕の日常』、『ムサシと武蔵』、『ドーハの歓喜』(4作とも徳間書店)。東海学生サッカーリーグ2部の名城大学体育会蹴球部フットボールダイレクター

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