[連載小説]アイム・ブルー(I’m BLUE) 第3話 戦術家、ドクター・ノイマン
これを記念して、4年前にスポーツナビアプリ限定で配信された前作をWEB版でも全話公開いたします(毎日1話ずつ公開予定)。
木崎f伸也、初のフィクション小説。
イラストは人気サッカー漫画『GIANT KILLING』のツジトモが描き下ろし。
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【(C)ツジトモ】
ノイマンは銀縁の眼鏡を外して、机の下の娘たちにやさしく話しかけた。
「パパはね、遠く離れた日本という国の試合を見なければならないんだ。明日たっぷり相手をするから、今日はママと遊んでおいで」
日本代表を率いるメーメット・オラルから、「自分の試合を分析してほしい」と依頼があったときは正直、困惑した。ノイマンはドルトムンテでチャンピオンリーグ準優勝を果たし、夏からパリSCを率いることが決まっている。つまり主戦場はヨーロッパで、世界のサッカーに何の影響も与えないであろう日本代表の試合は1度も見たことがなかった。いくら戦術眼に絶対的な自信があるといっても、選手の能力・性格を知らないと、ピッチ内で起きていることを深く掘り下げるのは難しい。
ノイマンはサッカーにまつわる仕事の中で、「解説」が最も難しいと考えている。あるプレーが起きたときに、それが監督が指示したプレーなのか、選手が自主的に判断したのか、偶然出たのか、それともミスなのか。見極めるのは困難だ。解説とは監督や選手の頭の中をのぞく作業だ。いくら映像を巻き戻してスローで見ても、選手に聞かなければ分からないことがある。軽々しく解説や分析はできない、とノイマンは思う。
だがノイマンにとって、オラルは最大の恩人だ。指導者としてプロになる道をつくってくれ、その後もアドバイスをくれた。たまにマイナーな試合を見れば、アイデアが浮かぶかもしれない。ノイマンは息抜きをかねて、引き受けることにした。
ドイツでは、プロ選手経験がなく、理論で出世した監督を「ラップトップトレーナー」と呼ぶ。パソコンばかり見ているという意味だ。ノイマンはまさにその典型だ。ドイツ5部の出場経験しかない。それでも戦術を武器にドイツで一番の若手監督と言われるまでになった。学生時代に医学部だったことから「ドクター・ノイマン」と呼ばれている。
オラルから指定されたのは、日本が0対2で負けた2029年11月のベルギー戦だった。ノイマンは映像をクリックすると、すぐに日本の守備に致命的な欠点があることに気付いた。
日本はプレスが下手だが、それでも偶発的にプレスがかかり、相手のボール保持者が余裕を失う瞬間がある。なのに日本の選手たちは、体を寄せてボールを奪おうとしない。なぜチャレンジしない! チャンスを逃している! 高いレベルでは隙が生まれるのは一瞬だ。それを逃せば、すぐに選択肢を見つけられてしまう。
日本の選手は、相手がミスをするのを待っているのかもしれない――ドクターは心理を読んだ。そんな受け身の中途半端なプレスが通用するのは、アジアの中だけである。
チームのコンセプトからはみ出している選手も見つけた。キャプテンマークを巻いた上原丈一だ。
このイタリア王者のユベンテスでプレーするFWは、左足を使ったドリブルで相手の脅威になっている。しかし、体力を温存するためか、プレスの際に自分の判断で力をセーブしている。守備で穴になっていた。
「クリスティーノ・ロナウドとロッペンを混ぜて、質の悪いコピーをした感じだな」
思わずノイマンは独り言をつぶやいた。記録を見ると、丈一はW杯予選の全試合で先発していた。なぜオラルはこのドリブラーを使い続け、さらにキャプテンにしているのだろう? 理由が分からない。
ただし問題点を見つける一方で、「このチームは大化けするかもしれない」という高揚感も感じていた。
すばしっこく、動きが予測不可能、なのに連動できる。忍者のイメージそのものだ。ヨーロッパのスタイルとは明らかに違った。諸刃の剣だが、生かし方によっては、大国を両断する切れ味を生み出せる。
目を奪われたのが、トップ下で起用されていた小高有芯だ。オラルからの資料には、東京ヴァッカル所属、164センチ、18歳、両利きとある。
密集地帯で迷いなくパスを受け、相手がボールを取りに来るとクルっと反転し、前を向いてしまう。敵の思考が見えているかのごとく、動きの逆を取りまくる。いわば鬼ごっこの達人だ。
あえてアンカーとして使い、DFラインの前に置いたらおもしろいぞ――。ドクターの頭脳に種が植え付けられ、新たな発想が育ち始めていた。