連載:甲子園レジェンド名将対談

横浜・渡辺元監督が選ぶ!記憶に残る3試合 「脇役の人間ドラマが今も忘れられない」

瀬川ふみ子
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横浜・渡辺元監督は1973年春の選抜で初出場・初優勝を果たした。決勝の延長戦の攻防では壮絶なドラマがあった 【写真は共同】

「記憶に残る試合を3試合挙げてください」とお願いすると、横浜・渡辺元智元監督は「迷うなぁ」と頭を悩ませる。それを聞いた帝京・前田三夫元監督が「横浜は印象に残る試合がありすぎるんだよね」と笑いながら言うシーンもあった。渡辺元監督が悩んだ末に挙げた3試合はいずれも、チームを脇から支える選手たちとの愛と人間ドラマあふれるシーンが見えるものだった。(取材日:6月30日)

「初優勝を決めるHRを打った彼をたたえたい」

■1973年春 選抜大会 決勝 vs.広島商(3対1)

渡辺 私が監督になって6年目で甲子園に初めて出場できたのが1973年春。あの年は、“昭和の怪物”と言われた江川卓投手が大注目されていて、その江川投手を準決勝で破った広島商と決勝で当たったんです。なかなか点が取れなくて、でも、うちの2年生エース永川英植がずっとゼロに抑え、0対0のまま延長戦に突入。

 延長10回表、やっと1点を取り、その裏、2アウト、「あとアウト1つで初優勝だ!」というときに、広島商の楠原(基)選手が打ったレフトへのフライを、冨田毅という選手がポロッと落としてしまったんです。三塁ランナーがかえって同点ですよ。

 ベンチに戻ってきたときに、殴ってやろうか!と思いましたけど、冨田が私の前に来て「すみません」と言って頭を下げる、なんとなく手が下がりました。延長11回、「おまえ、この回に、打順が回ってくるから打てばいいじゃないか!」とぶっきらぼうに言ったら、冨田は涙を浮かべてね(笑)。

 2死1塁、「打ってこい!」と送り出したものの、涙を流しながら打席に入るから「こりゃダメだ」と思って見ていました。でも、あいつ、打ちましたよ。レフトポールすれすれのところに2ランホームラン。今まで一回も打ったことない冨田が、ですよ。

 その裏、永川がゼロで抑えて3対1で勝ちました。あれが横浜の初出場初優勝。私にとっても青天の霹靂(へきれき)であり、感激もひとしおでしたね。

前田 あれはすごいゲームでしたね。

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