連載:ランキングと座談会で振り返る「高校サッカー選手権100回の歴史」

【座談会】水沼貴史×ワッキー×土屋雅史 三者が選ぶ「心に残る選手権の名勝負」

吉田治良
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選手権の決勝史上、戦後最も点が入った76年度大会の浦和南対静岡学園(5-4)。当時浦和南の1年生レギュラーだった水沼さんにとって、やはり忘れられない試合だ 【写真は共同】

 元日本代表FWの水沼貴史さん、「ペナルティ」のワッキーさん、サッカーライターの土屋雅史さんによる、高校サッカー選手権100回大会を記念したスペシャル座談会。過去3回の連載では「選手権を彩った偉大な100人」を選出してもらったが、ここでは3人の「心に残る名勝負」について語っていただく。それぞれ個人的な思い入れがたっぷり詰まった3試合を紹介しよう。

舞台装置が完璧だった帝京対イチフナ

土屋さんが初めて国立で生観戦したのが、91年度大会の帝京対イチフナの準決勝だった。劇的な幕切れもあって、「これを上回る試合はない」と断言する 【スポーツナビ】

──ここからは、長い選手権の歴史の中でも「これだけは忘れられない」という名勝負を、それぞれ挙げていただきます。

土屋雅史(以下、土屋) 僕は断然、1991年度の準決勝、帝京対イチフナ(市立船橋)ですね。

ワッキー それ、俺も見に行ってた。一個下の代だ。

土屋 僕は当時小6で、校歌まで覚えてしまうくらいの帝京ファン。それで親に無理を言って、初めて国立競技場で見たのがこの試合だったんです。松波(正信)さんと阿部(敏之)さんが2年、現在監督を務める日比(威)さんが3年の時の帝京ですね。

ワッキー イチフナの2年には(鬼木)達がいたね。

土屋 そうです。この大会では、帝京対四日市中央工の決勝(2-2からの延長でも決着がつかず、両校優勝)がフィーチャーされるんですけど……。

水沼貴史(以下、水沼) 小倉(隆史)がいた時の四中工だね。

土屋 はい。小倉さんが終了間際にダイビングヘッドで同点ゴールを決めた試合ですね。でも、個人的にあの決勝を上回るのが、準決勝のこの試合。わざわざ群馬から出てきて見たというのもあるんですが、試合展開も凄かった。イチフナが先制して、帝京が残り3分で追いついて、さらに大好きだった松波さんが逆転ゴールを決めるんですけど、それがハンドで取り消しになるんです。スタジアムが騒然として、ペットボトルや空き缶がピッチに投げ込まれたのを覚えています。

水沼 高校サッカーで? それは凄いね。

土屋 そうなんです。でも、ゴールが取り消されるとこんな雰囲気になるんだなって思った15秒後くらいに、今度は阿部さんが素晴らしいクロスを入れて、沼口(淳哉)さんという1年生FWが決勝点を決めちゃうんです。79分にそのゴールがあって、30秒後には試合終了でしたね。すべての舞台装置が完璧で、僕の中ではベスト・オブ・ベスト。選手権の試合は相当見てきましたけど、これを上回る試合はありません。

ワッキー イチフナ側としては、悪夢でしかなかったけどね。残り3分で1-0。もう勝ったと思ってたし、まさかそこから2点入れられるとは……。かわいい後輩たちのことを思って泣きましたもん。

土屋 実質3点ですからね(笑)。

ワッキー この段階で、イチフナはまだ選手権で優勝したことがなかった。それを1個下の代でやっと叶えてくれるんだなって、残り3分まではそう思ってたんだけどね。でも負けた瞬間は、「やっぱりまだなのかな」、「帝京の伝統の力というのは凄いんだな」って思ったことを覚えている。

水沼 初優勝するまでって、本当に大変なんだよね。強くても勝てない。くじ運も悪かったりして。青森山田なんかもそうだったよね。22回目の出場でようやく日本一になれたんだから(2016年度)。

土屋 確かに、3回戦の壁をずっと突破できませんでしたからね。
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著者プロフィール

1967年、京都府生まれ。法政大学を卒業後、ファッション誌の編集者を経て、『サッカーダイジェスト』編集部へ。その後、94年創刊の『ワールドサッカーダイジェスト』の立ち上げメンバーとなり、2000年から約10年にわたって同誌の編集長を務める。『サッカーダイジェスト』、NBA専門誌『ダンクシュート』の編集長などを歴任し、17年に独立。現在はサッカーを中心にスポーツライター/編集者として活動中だ。

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