優勝した長崎と不完全燃焼のJリーグOB  当事者が振り返るソナエルJapan杯

宇都宮徹壱

「防災」はジャンルを超えたキーワード

第1回ソナエルJapan杯はJ2のV・ファーレン長崎が圧倒的な強さを見せつけて優勝 【宇都宮徹壱】

 10月5日、今年のノーベル物理学賞が発表され、米プリンストン大学上席研究員の真鍋淑郎氏が受賞。地球温暖化の予測に関する、先駆的な研究が高く評価された。それにしても「気象分野の研究がノーベル物理学賞って、どういうこと?」と思ってしまったのは、私だけではないだろう。実際のところ気象分野での受賞は異例とのことで、報道によれば「ノーベル賞の新時代」と指摘する声もあるそうだ。

 おそらく背景にあったのは、地球規模での異常気象による災害の頻発、それに伴う防災意識の高まりであろう。そういえば、間もなくフィナーレを迎えるNHK朝の連続ドラマ『おかえりモネ』もまた、気象がテーマであった(より具体的に言えば「地域に根ざした気象予報と防災」)。直接的に語られることはあまりなかったが、その背景にあるのが「地球温暖化」であることは間違いない。

 かくして「地球温暖化」「気象(予報)」そして「防災」は、現代を生きる私たちにとり、ジャンルを超えたキーワードとなりつつある。実際、平成の世になって以降のわが国は、たびたび甚大な自然災害に見舞われてきた。時おり発生する大地震も確かに怖いが(10月7日にも首都圏で震度5強の地震があったばかり)、夏から秋にかけて発生する台風や大雨もまた、毎年のように甚大な被害をもたらすようになった。こうなると、サッカーを含むスポーツ界も、当然ながら無関心ではいられない。

 防災の日の9月1日、Jリーグとヤフー株式会社は「ヤフー防災模試 ソナエルJapan杯(以下、ソナエルJapan杯)」の開催を発表した。これは防災意識を高めることを目的に、災害時に必要な知識や能力を問う「ヤフー防災模試」をJリーグに所属する57クラブ、そしてファン・サポーターがスマートフォンで受験し、その受験者数や点数をクラブ間で競い合うという企画である。Jリーグのファンであれば、何となくその存在は視界に入っていたはずだ。

 第1回となるソナエルJapan杯は、J2のV・ファーレン長崎が圧倒的な強さを見せつけて優勝。一方で、予選ラウンドを免除されたチームJリーグOB(協力:Jリーグ選手OB会(J-OB))は、決勝ラウンド10チーム中10位という不本意な結果に終わった。それぞれの当事者のコメントを紹介しながら、今回のソナエルJapan杯における成果と課題を考察することにしたい。

「みんなで盛り上げる方法を考えよう」高田春奈(長崎社長)

今年のソナエルJapann杯で優勝したV・ファーレン長崎の高田社長とヴィヴィくん 【写真提供:V・ファーレン長崎】

「私たちのクラブは今年、Jリーグマスコット総選挙でクラブマスコットのヴィヴィくんが優勝、そして『もうひとつのルヴァンカップ』でも2019年と20年に連覇しました(注:その後3連覇を達成)。今回もソナエルJapan杯で優勝できて、本当にうれしく思います。参加していただいたファン・サポーターの皆さんも、自分たちのクラブにさらに誇りを持っていただけるのではないかと思います。と同時に、今回のイベントで得られた一体感を、今後のリーグ戦への後押しにしたいですね」

 そう語るのは、優勝した長崎の高田春奈社長である。今回の長崎は4674点を獲得。2位の清水エスパルス(3161点)、3位のFC町田ゼルビア(1185点)をはるかにしのぐ高得点で、圧倒的な強さを見せた。一見すると、防災とのつながりが薄いように見える長崎だが、ファンやサポーター、そして地域を巻き込んでの取り組みは、他の追随を許さないものが感じられた。そして何より、高田社長の思いが強かったことも大きい。

「もともとこうしたイベントには、広報やホームタウン推進のメンバーと常に連携していました。今回のソナエルJapan杯に関しては『これは絶対に頑張りたいので、みんなで盛り上げる方法を考えよう』という私の気持ちが強かったこともありましたね。こうした共感、防災に備えることの必要性が社員のみならず、ファン・サポーターの皆さんにも伝わり、広がっていくことができたのが大きかったと思います。それと個人的には、長崎の県民性として『助け合いの精神』があるように感じていて、そうした部分もまた、クラブの強みにもなっていると思います」

 長崎での災害と言えば、1982年に長崎市内を襲った大水害、そして91年の雲仙普賢岳の火砕流などが思い出される。しかし高田社長によれば、前者は「まだ子供だったので」リアルな記憶はなし。後者についても、中学から神戸の学校に通っていたので、ニュース映像でしか知らないという。その4年後、阪神淡路大震災に遭遇。彼女の防災意識の原点は、意外にも95年1月17日にあった。

「当時、神戸の東灘区に住んでいました。ものすごい揺れで目が覚めたのですが、停電で真っ暗だったので明るくなるまで状況が分からなかったんですね。夜が明けて外を見たら、周りの建物はほとんどがつぶれていて、私が住んでいる建物も半壊でした。公衆電話に長い行列ができていて、午前11時頃にやっと両親に無事を知らせることができました。災害は、決して他人事ではないこと。それがあの日、強く自覚したことでした」

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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