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選手兼強化部長として6年ぶりの現役復帰
片桐淳至、東海2部からの新たな挑戦

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東海社会人サッカーリーグ2部のFC Bomboneraで、選手兼強化部長として6年ぶりに現役復帰した片桐淳至
東海社会人サッカーリーグ2部のFC Bomboneraで、選手兼強化部長として6年ぶりに現役復帰した片桐淳至【栗原正夫】

 5月中旬のある日、J1から数えて6部に当たる岐阜県関市を本拠とする東海社会人サッカーリーグ2部(以下東海2部)のFC Bombonera(以下ボンボネーラ)の練習場で、片桐淳至(37歳)は1人別メニューの調整を続けていた。


 チームがピッチ中央でゲーム形式の練習を行う中、ピッチ脇でその様子を横目にランニング。脚に違和感を抱え調整が遅れている自身のこと以上に、チームの状態が気になっていたのかもしれない。


 岐阜工高3年時には選手権で得点王を獲得し、チームを準優勝に導いた。Jリーグでは名古屋グランパス、FC岐阜、ヴァンフォーレ甲府と渡り歩いた片桐は、14年に30歳で1度引退。その後は、大阪で清掃業などを営んできたが、昨季ボンボネーラに選手兼強化部長として加入するとピッチ内外でクラブを盛り上げようと奮闘している。


 今季のボンボネーラには片桐のほか、元日本代表のハーフナー・マイク(34歳)やかつて甲府で長く背番号10をつけていた藤田健(41歳)らも加わっているが、その仕掛人がほかならぬ片桐である。

楽しいサッカーって面白くないんですよ!

かつてはFC岐阜やヴァンフォーレ甲府などでも活躍した片桐(右)は、2014年に一度スパイクを脱いだが、その後現役復帰。
かつてはFC岐阜やヴァンフォーレ甲府などでも活躍した片桐(右)は、2014年に一度スパイクを脱いだが、その後現役復帰。【Photo by Koji Watanabe/Getty Images】

 かつて高校選手権を沸かせ、06年には当時東海1部だったFC岐阜に加入し、鋭いドリブルと強烈な左足のシュートを武器に、東海1部からJFL、JFLからJ2への昇格に貢献した片桐。その後は、09年途中に甲府に移籍し、名古屋時代に続くJ1の舞台も経験したが、14年6月に静かにスパイクを脱いだ。


 それから昨季ボンボネーラに加入するまで約6年の空白があるが、片桐はどのように過ごしてきたのか。


「だいぶ苦しんでました。30歳でやめたときはやり切った感もなくて、すごく寂しかったですね。13年にびわこ滋賀(当時JFL)を退団したあとにはラトビアやタイに行きましたし、日本でもカテゴリーを下げれば現役を続けるチャンスはあったのですが、自分が望むようなチームがなかったというか、そこまでの熱を持てずに……。たまに子どもにサッカーを教えたりすることはありましたが、何もする気が起きずにダラダラしてしまった時期もありました」


 それでも、幼少時からサッカーが好きで高校選手権でスターになり、Jリーガーまで上り詰めた男だ。消えかけた心に再び火が灯れば、モチベーションが上がるまでに時間はかからなかった。


「正直、岐阜で育ち選手権で得点王になって、FC岐阜でもいい経験をさせてもらい、地元では周りの人が自分のことをどう見ているのかが気になったりもして、中途半端に仕事を探して働こうという気にはなれなかったんです。ただ、ずっと何もしないわけにもいかず、自分のことを誰も知らない大阪に行って清掃会社を起業して3年ほど働きました。手に職をつけ、サッカー以外のことで初めて自分なりに懸命に取り組み、それなりの充実感もありました。


 サッカーをまったくやらなかったのは1年間だけ。仕事をしているときも、週1回は岐阜に戻って県の社会人リーグなどでプレーはしていたんです。でも、楽しいサッカーって面白くないんですよ! どうせやるならシビアに上を目指しているところでやってみたい。しばらくするとそんな気持ちが強くなってきたんです」


 当時、片桐は仕事をしながら現在はボンボネーラと同じ東海2部のFC大垣K'に所属していた。しかし、昨年6月に2025年のJリーグ参入を目指し本格的に動き出したボンボネーラに誘われると、それに共感する形で選手兼強化部長として“移籍”を決めたのだ。

栗原正夫

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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