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森山泰行、51歳。現役サッカー選手
いまもピッチに立ち続ける理由

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森山泰行は10年以上のブランクがありながら、なぜ現役復帰したのか。秘めた思いを聞いた
森山泰行は10年以上のブランクがありながら、なぜ現役復帰したのか。秘めた思いを聞いた【栗原正夫】

 FCマルヤス岡崎(JFL)の練習場、阿知和グラウンド。愛知県岡崎市にある、その周囲を木々に囲まれた緑豊かなピッチで、森山泰行は練習終わりに浮いたボールをミートする練習を何本も繰り返していた。

 

 森山といえば、Jリーグ初期の名古屋グランパスで、独特の嗅覚と貪欲なまでにゴールを狙う姿勢で高い得点率を誇ったストライカーとして覚えているファンも多いだろう。


 2004年、35歳のときに第一線を退いた森山は、05年から08年にかけて当時、東海社会人リーグ2部だった故郷のFC岐阜のJリーグ参入(J2昇格)に選手兼助監督、取締役として大きく貢献。その後は解説者などを経て、14年から5年間は埼玉県の浦和学院高サッカー部の監督を務めていたが、昨年2月にJFL所属のFCマルヤス岡崎で選手兼チームディレクターとして11年ぶり2度目の現役復帰を果たしたのである。

49歳での現役復帰は教え子へのメッセージ

 1969年生まれの森山はすでに51歳。2度目の復帰を決めた時点で49歳になっていたが、なぜその年齢で10年以上ものブランクがありながら、再びピッチに立とうと考えたのか。聞けば、高校年代の指導経験が大きく関係しているという。


「高校の教え子を見ていて、もっと自分を肯定してほしいというか、自分の良さを生かしてチャレンジしてほしいと思っていたんです。日本の教育って、どうしても苦手なところを克服させるというか、ネガティブなところを見る傾向があって思い切りできていないように見えて。


 それで、退任にあたって彼らに一番響くメッセージは何かと考えたら、バカな発想なんですけど、現役復帰かなと思ったんです。できるか、できないかは実際にやってみないと分からない。足が絡まって倒れて笑われるかもしれない。それでも、いい歳のオッサンが倒れそうになりながらも必死に自分の良さや特徴を出そうとしていれば、何か伝わることがあるかもしれないじゃないですか」


 世の中にどこか閉塞感を感じていた森山には、もうひとつこんな思いもあった。元日本代表でもある自分がプレーすることで、少しでも注目が集まり、地域を元気にすることができるなら喜んで自分が体を張る。


「選手として昔のように“第一線”でやるのは無理。でも、50歳を過ぎても、あと10年か15年くらいは元気に体も動くでしょうし、そこで社会や地域、スポーツのために何かしたかったんです。元々ポジションも性格も攻撃的なわけだし、ここで守備的な生活をしてもつまらない。どうせやるなら面白いことやりたいじゃないですか」

自分の仕事場はゴール前。勝負したい

49歳で2度目の現役復帰。その決断に周囲は驚いたが、森山は覚悟を決めていた
49歳で2度目の現役復帰。その決断に周囲は驚いたが、森山は覚悟を決めていた【写真提供:FCマルヤス岡崎】

 当初、クラブからはチームディレクターとしてオファーを受け、選手としての復帰は自らの提案だった。引退後はトレーニングを継続していたわけでもなく、体重も約10キロ増えていた。


「ただ、チームディレクターのオファーを受けながら、選手としてもプレーしたいと言って許されたということは、『もう一回サッカーをやってみろ』と言われたと思っています。


 もちろん、自分より20歳も30歳も若い選手がいるわけで、彼らよりも走れと言われたら難しい。僕はとにかく自分の良さ、ストロングな部分を信じてプレーするだけ。こぼれ球を拾うのか、ダイビングヘッドで突っ込むのか。とにかくゴール前が自分の仕事場ですから、そこで勝負ができれば」


 そもそも森山の復帰はこれが初めてではない。再びユニホームを着たいと告げた際の周囲の反応も気になる。もちろん「周りに迷惑をかけているのは理解しています」と森山は言い、こう続けた。

栗原正夫

1974年生まれ。大学卒業後、映像、ITメディアでスポーツにかかわり、フリーランスに。サッカーほか、国内外問わずスポーツ関連のインタビューやレポート記事を週刊誌、スポーツ誌、WEBなどに寄稿。サッカーW杯は98年から、欧州選手権は2000年から、夏季五輪は04年から、すべて現地観戦、取材。これまでに約60カ国を取材で訪問している

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