- 島崎英純
- 2020年5月15日(金) 09:30
コロナ危機前夜

2020年3月7日。筆者は住居を構えるドイツ・フランクフルトからドイツ鉄道の特急(ICE)に乗車してノルトライン=ヴェストファーレン州の小都市であるレヴァークーゼンへ向かっていた。
3月上旬のドイツは国内での新型コロナウイルスの感染者数が1,000人に迫ろうとしていた。その影響もあって、筆者が取材するドイツ・ブンデスリーガ第25節のバイヤー・レヴァークーゼンvs.アイントラハト・フランクフルトでは試合前にいくつかの衛生対策がとられていた。
ヨーロッパに限らず日本でも、サッカー界では他者を敬い、尊重する意味であいさつ時に握手の習慣があるが、この日のバイ・アレーナ(レヴァークーゼンのホームスタジアム)では他者との接触が極力控えられていた。いつものようにクラブの広報担当者とあいさつする際にもお互いに手を上げてほほ笑むだけで、試合後のミックスゾーンでももちろん、取材に対応してくれた選手と握手を交わすことはなかった。
ただ、それでも当時のドイツは新型コロナウイルスがもたらす影響の深刻さを今ほどには捉えられておらず、普通の日常生活が営まれていた。その証拠に、この日のゲームではフランクフルトから何千人ものファンやサポーターが電車やバス、または自家用車などでレヴァークーゼンへと赴いたし、スタジアム近隣のバーやレストランでは両サポーターが分け隔てなく親しげに歓談する姿が見られた。
ウイルス蔓延でリーガは休止に

ドイツの情勢が変化したのは3月9日にドイツ国内で初となる新型コロナウイルス感染者の死亡が確認されてからだ。それは先述したレヴァークーゼンが属するノルトライン=ヴェストファーレン州からで、この地域では2月下旬に『バラの月曜日』と称されるカーニバルの開催によって他者との濃厚接触が頻発したことを発端に、多くの新型コロナウイルス感染者が発生した事情がある。
ブンデスリーガも当然、新型コロナウイルス流行の対応に追われた。まず、悪天候のために1試合だけ延期されていた3月11日の第21節ボルシア・メンヘングラードバッハvs.1.FCケルンがブンデスリーガ史上初となる無観客試合で開催された。これはドイツ連邦保険省が新型コロナウイルスの感染拡大を受けて観客が1,000人以上集まるイベントを当面自粛することを勧告し、ノルトライン=ヴェストファーレン州に属するメンヘングラードバッハ市がこれに応じたことで決定されたものだった。
その後、筆者は3月15日開催予定のフランクフルトvs.ボルシアMGを取材するつもりだった。フランクフルトはその前の3月12日にホームスタジアムの『コメルツバンク・アレーナ』でUEFAヨーロッパリーグ・ラウンド16第1戦・FCバーゼル(スイス)戦を無観客で開催しており、週末のブンデスリーガのゲームも当然、無観客での試合実施が決まっていた。
しかし3月11日にブンデスリーガ2部のハノーファー96に所属するDFティモ・ヒューバースがブンデスリーガ所属選手として初の新型コロナウイルス陽性反応を示し、同12日には同じくハノーファーのDFヤネス・ホルンも新型コロナウイルスに感染。そして1部でもパダーボルンのDFルカ・キリアンが陽性反応を示したことで、同13日に予定されていたフォルトゥナ・デュッセルドルフvs.パダーボルンが急きょ延期となった。そして、ブンデスリーガは1部、2部ともにリーグ全体の休止と各ゲームの延期を発表した。その後もブンデスリーガでは選手、スタッフなどから多くのウイルス感染者が発表され、長谷部誠と鎌田大地が所属するフランクフルトでも名前は公表されていないが、選手2人とスタッフ2人が感染するなどの深刻な事態に陥った。
そんななか、ドイツ政府は3月22日に正式なロックダウン措置を施行し、学校の休校、家族以外との接触制限、公共の場でのソーシャルディスタンス維持、他人と近距離で交わる商店、飲食店、サービス業の閉鎖など、多岐にわたる制限を課した。
ドイツは日本とは異なり連邦制で、16の州がそれぞれに地方自治及び行政を担い、文化的にも多様性がある。また地域によって新型コロナウイルス感染者数の推移に違いがあり、ヨーロッパで最も被害の大きかったイタリアに近いバイエルン州などは国内最大の感染者数を記録した影響で他州よりも厳しい制限措置を課したりもした。