連載:未来に輝け! ニッポンのアスリートたち
卓球五輪代表を狙う吉村和弘 ダークホースから正真正銘の本命へ
若い才能が次々と現れる卓球界。吉村和弘もそのひとりだ 【スポーツナビ】
今年4月、ハンガリーで開かれた世界選手権で初の日本代表入り。わずか16歳(当時15歳)にして世界のトップ5に名を連ねる張本智和や、リオデジャネイロ五輪男子シングルス銅メダリストの水谷隼らとともに、憧れの大舞台に立った。前年の2018年5月にはワールドツアー・香港オープンでプロツアー初優勝。この成績が世界選手権の代表選考に大きく影響した。
だが、吉村の名を一躍メジャーにしたのは17年1月の全日本選手権だ。
シングルス8強を目標に臨んだ同大会で、自身初の決勝進出を果たした吉村は当時、歴代最多の9回目の優勝がかかっていた水谷と対決。全日本王者から1ゲームしか奪えず敗れはしたものの、準優勝という見事な成績を挙げた。この大会で吉村はノーマークで決勝まで勝ち上がってきたダークホースとして、強烈なインパクトを残した。
憧れの兄とスパルタの父
3歳年上の兄・真晴に憧れ、追いかける卓球人生だった 【写真:田村翔/アフロスポーツ】
弟の和弘も全日本選手権のジュニアチャンピオンになるなど、将来を嘱望される選手のひとりではあった。だが、真晴にはそれをはるかに超える、リオ五輪男子団体銀メダルや、翌年の世界選手権で石川佳純と混合ダブルス金メダルといった輝かしいキャリアがある。さらに全日本選手権でも、高校3年生だった12年に水谷を破り優勝する大快挙を成し遂げている。
吉村にとっても兄は憧れの存在であり、兄の活躍が刺激となって自身も頑張ってこられたのだという。
「僕は三兄弟の真ん中で、3人とも父のもとで卓球を始めたんですけど、兄は小さい頃からすごくて、小学4年生の時にカブ(小学4年生以下)の部で全国優勝しました。その頃、僕と弟は兄のサブという感じでした」
父である弘義さんの指導は厳しかった。いわゆるスパルタというやつだ。
そのことを物語るエピソードには、例えば「練習で凡ミスをすると球拾い用の網の柄で足をパシンとやられた」「その日の練習がダメだと卓球場からの帰り道、自宅まで30〜40分の夜道を歩かされた」「車の助手席に座るとお説教されるので、兄弟3人で後部座席を争っていた。手が飛んでくることも日常茶飯事だった」など枚挙にいとまがない。
特に基本にうるさかった父は日常生活でもさまざまなトレーニングを課し、「風呂に入っても湯船の中で手首をいろいろ動かすトレーニングをしました」と吉村は振り返る。吉村兄弟といえば手首の使い方がうまく、弟の和弘はバックハンド、兄の真晴はサーブの“妙手”だ。
そのことについて、「子どもの頃のトレーニングのおかげで、手首が強くなったんじゃないかと思います。強いだけでなく軟らかさもあるので、手首がしなるんです。他の選手を見ていると、あまり手首を使えていないなと思うことがよくあります」と吉村は分析する。