連載:未来に輝け! ニッポンのアスリートたち
視覚障害者柔道にニューカマー出現 競技歴わずか2年の瀬戸勇次郎
視覚障害者柔道66kg級で頭角を現す瀬戸勇次郎 【スポーツナビ】
瀬戸の階級は66kg級。日本では、1996年のアトランタパラリンピックから3連覇し、リオ大会までに5つのメダルを獲得している藤本聡が、長くこの階級の王者として君臨していた。瀬戸は、その藤本を2018年の全日本視覚障害者柔道大会で下して初優勝。続く19年3月に行われた東京国際視覚障害者柔道大会でも決勝で藤本と対戦し、ゴールデンスコアの末優勝をもぎ取った。
視覚障害者柔道を始めて、わずか2年。飛ぶ鳥を落とす勢いのニューカマーである。
故郷の山で体の使い方を覚えた?
「“はじめ”という審判の合図の後、一瞬で投げられてしまうかもしれない。技をかけようとすれば反対に相手にその動きを察知されてしまう。最初はすごく恐怖心がありました」
瀬戸は、2000年に福岡県糸島市で生まれた。生まれつき色覚障害に伴う弱視で、3歳からメガネを使っている。現在、視力は右が0.07、左は0.05。人の姿はわかるが、表情を見ることはできない。紫色の花だと思っていたら「いや、それはピンク色だよ」と言われることがある。わずかな日差しでも見づらく、外を歩くときにはサングラスが必需品だ。
幼い頃には、父や2歳違いの兄とキャッチボールをして遊んでいた記憶がある。
「ボールが見えないから、あまり上手ではありませんでしたが」
故郷の糸島市は、自然の豊かなところ。海や山が自宅近くにある。
「海水のベタベタした感触が好きではなくて、僕は山派です(笑)。山を駆け回って遊んでいました。走っていると、落ち葉などで足を取られて転ぶことがあるじゃないですか。少しでも痛くないように自然と受け身の体勢をとっていました。そういう体の使い方は、柔道を始めてからも、生きているのかもしれません」
柔道は、兄と一緒に4歳で始めた。自宅からほど近い小学校の体育館が道場だ。地区大会で自分より体の大きな対戦相手を倒して勝つことが楽しかったのだという。中学に進学してからは部活動として取り組む。高校まで柔道一筋だった。
「でも、高校時代は団体戦で結果を残せず、仲間の迷惑になっているのではないかというプレッシャーで練習するのもしんどく、もう、卒業したら柔道はやめようと思っていました」
視覚障害者柔道に出会い覚醒
2018年の全日本視覚障害者柔道大会で、王者・藤本聡を破った瀬戸(写真右) 【写真は共同】
金鷲旗の直後、視覚障害者柔道の学生大会にぶっつけ本番で出場。初めて組手争いをしない柔道を体感した。
「高校時代までの一般の柔道とは、もう全然違う。4分間戦ったら腕がパンパンになりました。大会前にそういうルールであるという説明は受けていましたが、実際に戦って衝撃を受けました」
しかし、それが自分に合っていたのだという。
「一般の柔道では、組手争いで体が離れてしまうと、相手の動きを見ることが難しくて、どうしても一瞬遅れる。高校時代はずっと試合に勝てずにいたんです。でも、組んだところから始まる視覚障害者柔道なら、自分にも勝機がある、勝つことができる。勝つと、やっぱり楽しいんです。改めて柔道は面白い! と再確認しました」
やめようと思っていた柔道を続けたいと、大学に進学して柔道部に所属した。今は週に6日、朝練や走り込みを行い、さらに夕方の練習で汗を流す。大学の柔道部の練習がない日には、母校の柔道部の練習に混ぜてもらうこともある。
「視覚障害者柔道を始めてから、自分に足りないものが明確になりました。技をかける一瞬のスピードも大事なのですが、何よりパワーがなければ4分間、戦い続けることはできません」
とはいえ、マシンを使った筋力トレーニングなどをするわけではない。
「パワーがないと、相手の袖や襟をつかんでいる手が伸びきってしまいます。普段の乱取りで相手を引き続ける力と姿勢を意識して、実践的に培っています」
最初は戸惑った視覚障害者柔道だが、意識的にパワー重視の練習を積んだことで力をつけてきた。王者・藤本を倒したのは、その成果なのである。