パラカヌー瀬立モニカと地元の絆 東京で一番幸せなパラアスリートへ

瀬長あすか
 2020年東京大会そして世界に向けて、それぞれの地元から羽ばたくアスリートを紹介する連載企画「未来に輝け! ニッポンのアスリートたち」。第40回は東京都出身、パラカヌーの瀬立モニカ(せりゅう・もにか)を紹介する。

「4年後、私もこの歓声の中で……」

2016年のリオでは初出場で決勝進出を果たした瀬立。それ以上に、地元ブラジル勢への大声援が忘れられない光景となった 【写真:アフロスポーツ】

 2016年の9月。瀬立モニカはブラジルのリオデジャネイロにいた。18歳で出場した初めてのパラリンピックで決勝に進出。決勝で最下位だった悔しさとともに強く印象に残っているのは、地元・ブラジルの選手に向けられた大声援である。

 体幹機能障がいの瀬立はKL1という障がいクラスだが、その日のスタンドは瀬立のレース後に行われる、最も障がいの軽いKL3クラス観戦のために詰めかけた大勢のブラジル人で沸いていた。男子KL3クラスに出場していたのは、地元リオデジャネイロ出身のカイオ・リベイロ・デ・カルバリョだった。カイオが決勝レースで激戦の末、3着となりメダルが確定した瞬間、スタンドの喜びは一気に爆発。何が起こったのかわからなくなるほどの大きな歓声に瀬立はあ然とし、「まさに地鳴り。すごい熱狂でした」とスタンドにいた瀬立の母・キヌ子さんも驚きを隠せないほどだった。

 2020年の東京パラリンピックでは、瀬立が生まれ育った江東区の「海の森水上競技場」でカヌー競技が行われる。

「4年後、私もこの歓声の中で競技をしたい。そしてメダルを取りたい」

 もともとリオを「2020年のための2016年」と位置付けていた瀬立だったが、沸き立つリオのスタンドはアスリートとして変革することを誓ったときに目にした、忘れられない光景となった。

五輪を夢見るも、高1の夏に人生が一変

母・キヌ子さん(写真右)と。瀬立は子どものころから活発だったという 【写真は共同】

 1997年、東京都江東区で生まれた。「女の子とおままごとをするよりは、男の子と外でボール遊びをするのが好きな活発な子どもでした」(母のキヌ子さん)。体を動かすことが好きで、とくに3歳から始めた水泳は地域の大会で優勝の常連になる腕前。オリンピック出場を夢見た少女と母は、お風呂の中で母とよくこんなインタビューの練習をしていたという。「モニカ選手、メダルの喜びを誰に伝えたいですか」「お母さんに伝えたいです」。

 母は看護師として働くシングルマザー。多忙ながら子ども会の役員を引き受けるなど積極的に地域に関わり、周囲と助け合いながら、瀬立に愛情を欠かさなかった。

 スポーツばかりではない。「スポーツは頭を使うから」と母は娘に文武両道を約束させ、さらには目標設定の重要性も小学生のころから説いていたそうだ。

 中学に入学すると、瀬立はバスケットボール部と、地元の中学生が集まる江東区カヌー部に入部。高校は区外の私立高校に通い、カヌーで東京国体を目指したが、高校1年の夏、人生を一変させる出来事が起こる。体育の授業中に倒立前転をした際の事故で、両下肢にまひが残ったのだ。

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著者プロフィール

1980年生まれ。制作会社で雑誌・広報紙などを手がけた後、フリーランスの編集者兼ライターに。2003年に見たブラインドサッカーに魅了され、04年アテネパラリンピックから本格的に障害者スポーツの取材を開始。10年のウィルチェアーラグビー世界選手権(カナダ)などを取材

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