連載:錦織圭、グランドスラム制覇への道

錦織圭、2つの戦い…恐怖心とライバルと 長期離脱から復帰までの舞台裏

秋山英宏
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錦織にとって試練となった2017年。長期離脱から復帰に至るまでを振り返る 【Getty Images】

 2017年は錦織圭にとって試練の年だった。「BIG4」の壁を破れず、また若い力が台頭。自身の不振もあり、ツアー優勝は6年ぶりにゼロと思うような結果が残せないシーズンとなった。8月には利き腕である右手首に全治5カ月の大ケガを負ってしまう……。

 そこから錦織は見事にカムバックを果たした。18年1月に復帰すると、ウィンブルドンでベスト8。続く全米オープンでベスト4、19年1月の全豪オープンでベスト8に進出し、世界ランキングは7位(5月20日現在)まで上昇した。そして全仏オープンに挑む。

 選手生命の危機すら感じさせたケガから、錦織はどのように復活したのか。ケガの痛みや恐怖心だけでなく、覇権を握る「BIG4」、さらには迫り来る次世代の足音とも戦った舞台裏に迫った。

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2017年夏、神様がくれた「強制終了」

 錦織の17年シーズンは8月半ば、ケガによって終わりを告げた。アメリカ・シンシナティでのツアー大会に向けての練習で、サーブを打った際に右手首を痛めたのだ。

 本人には、手首が発した「プツッ」という不気味な音が聞こえたという。ファンが収めた映像には、その場でひざを折り、表情をゆがめる錦織の様子が映っている。当時、専属トレーナーだった中尾公一は瞬時に事の重大さを見て取り、「これは長くなるな」と覚悟したという。

 MRI検査を行い、複数の専門医に診察を受け、負傷は「尺側手根伸筋腱脱臼」と特定された。復帰まで約5カ月を要する大ケガだった。

 右手首は以前から弱い部位で、常に予防のためのテープが巻かれていた。この年は3月のマイアミ大会で痛みが出て、翌月のバルセロナ大会は欠場した。さらに5月のマドリード大会でも、準々決勝に進出しながら痛みが強くなって試合を途中棄権していた。
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著者プロフィール

テニスライターとして雑誌、新聞、通信社で執筆。国内外の大会を現地で取材する。四大大会初取材は1989年ウィンブルドン。『頂点への道』(文藝春秋)は錦織圭との共著。日本テニス協会の委嘱で広報部副部長を務める。

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