イチローがトラウマ、葛藤と戦った日々 ケン・グリフィーJr.に救われて
連載:第8回
ケン・グリフィーJr.(左)はイチローをいじり倒すことで、チームに溶け込ませた 【Getty Images】
「マイナスの空気が皮膚から入ってくる。それを避けたかった。これまでより僕の世界を作り上げていたと思います」
クラブハウスにいるときはヘッドホンをして他を遮断。ひたすら壁を作った。
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「カンガルーコート」でイチローいじり
そのときイチローは、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の合宿で宮崎にいた。日本代表が2次ラウンド前にアリゾナでキャンプを行ったことから、そのときに2人はマリナーズのキャンプ地で再会したものの、ようやく同じラインナップに名を連ねたのは、開幕が間近に迫った3月26日のことだった。
ただ、それもつかの間のこと。30日の試合中、イチローはめまいと極度の疲労を訴え、途中交代。精密検査の結果、胃の潰瘍性出血という診断が出て、チームがキャンプを打ち上げた後も、ピオリアに残った。結局、故障者リストで開幕を迎えたイチローが復帰したのは4月15日のことである。
この頃、ドン・ワカマツ新監督は、大いに気をもんだという。
「その前年のことは聞いていた。あの年、チームメートとキャンプを過ごす時間が極端に短かったことで、イチローは新しく加わった選手らと関係を築く時間もなかった」
だが、そんな壁などグリフィーにしてみれば、なんでもなかった。復帰から4日後の19日、グリフィーは「カンガルーコート」を開いた。
遅刻した、一塁への全力疾走を怠った、ロッカーが汚い、同じ服ばかり着ている……。
クラブハウスに置かれた小さな箱の中に、選手らがそんなメモを投じる。たまったところで模擬裁判が開かれるわけだが、選手が告発し合い、選手が裁く。新たな火種になりかねないが、そこはグリフィーがうまく料理する。
当日、グリフィーは裁判長が着る法服を身にまとい、嬉々として裁判が行われた会見場に向かったが、そこではイチローも例外なく裁かれた。
理由は、「個人通訳がいることと開幕に間に合わなかったこと」。
それだけで爆笑だったらしいが、そもそも、そうしてオープンにイチローをいじること自体、前年までタブーだった。それが風通しの悪さにつながり、イチローが孤立する一因にもなっていたが、グリフィーは遊びに溶け込ませ、巧みに角が立たないようにタブーを取り払ったのだった。
もう一人の味方はマイク・スウィーニー
イチローがストレッチをしていると後ろからくすぐるのは日常茶飯事だったが、クラブハウスでは、いちいちイチローの服装をネタにした。
「なんだ、そのピンクのベルトは? 俺の娘にくれないか」
その年の6月、イチローはドジャー・スタジアムで行われた試合の序盤、照明に消えたボールを、左太ももの内側に当てた。翌日、グリフィーが「昨日、ボールが当たったところは大丈夫か?」と声をかけた。
イチローがあざになっているところを見せると、そこを親指でぐっと押した。イチローは、悲鳴に近い声を上げている。
かといって、イチローも嫌がっているわけではない。当時、こんなことを言った。
「中途半端な人間がいたら、そういう人を抑えることができる。順番をつける人間がいるとしたら、そういう人間にとっては大きい存在に見える。そうじゃない人にとっては最高のチームメート」
翌年、そんなグリフィーが引退すると、イチローもショックを隠さなかった。
「守られているっていう意識がすごく大きかった」
グリフィーとともにイチローを救ったのは、やはり2009年に移籍してきたマイク・スウィーニーである。イチローとは同じ年。ロイヤルズ時代に一時代を築き、マリナーズに来たときにはもう力の衰えが目立ったが、彼もまた、圧倒的な存在感を備え、グリフィー以上にチーム全体に気を配った。
当時、チームにはマイク・カープという新人がいた。ロサンゼルスで生まれ育った彼は、マリナーズがロサンゼルスを訪れた際、家族、友人を招待しようと考えた。必要なチケットは20枚。しかし、選手一人に支給されるのは4枚まで。残りをどうしようかと考えていると、スウィーニーが声をかけてきたそうだ。
「ここはお前の地元だろう? チケットは足りているか?」
カープは正直に「足りていない」と伝えると、彼に代わってスウィーニーがチームメートに声をかけたそうだ。
「おい、余っているチケットはないか? 使わないチケットがあったら、カープに回してやってくれ」