28歳、美しさと気品はそのままに――ヒシアマゾンと私の数奇な出会い

カズ石田 (Kaz Ishida)

「君はヒシアマゾンという馬を知っているかい?」

20数年の時を経て、ヒシアマゾンにめぐり合うチャンスが訪れた(2018年2月3日 ポログリーンステーブルにて) 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】

 2016年の夏、米カリフォルニア州サンディエゴでおこなわれたGIパシフィッククラシックの取材でデルマー競馬を訪れたときのこと。このレースを優勝したのは2014年、2016年と2度、米年度代表馬に輝いたカリフォルニアクロームという名馬。レース前々日の昼過ぎ、同馬の撮影のために厩舎を訪ねると一人のホースマンが私に話しかけてきた。

「君は日本から来たのかい?」

「はい、そうです」と言うと、

「君はかつて日本で大活躍したヒシアマゾンという馬を知っているかい?」

 その時、私の思いは一瞬にしてあのオールカマーへと戻り、あの強くて美しく気品のあった牝馬ヒシアマゾンを思い出していた。

「もちろんです。私はまだ学生でしたが、ヒシアマゾンが大好きですごく応援していました」

 そう答えると、彼の笑顔がはじけた。

「そうか、君はヒシアマゾンのファンだったのか……」と何度もうなずいてくれた。

 このホースマンは米国の馬産の本場・ケンタッキー州にあるテイラーメイドファームの副社長フランク・テイラー氏だったのである。

【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】

ヒシアマゾンが生まれたテイラーメイドファーム 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】

 ご存知の方も多いと思うが、ヒシアマゾンは「ヒシ」の冠名で知られる日本人オーナー、故阿部雅一郎氏が、1989年、米ケンタッキー州のセリでアイリッシュ1000ギニー(日本の桜花賞にあたる)を勝ったケイティーズを繁殖牝馬として100万ドル(当時の日本円で約1億5000万円)で購入、テイラーメイドファームに預託し、名種牡馬シアトリカルを種付けして誕生したサラブレッド。つまり、ヒシアマゾンの生まれ故郷の方だったのだ。

ヒシアマゾンの母 ケイティーズの墓(テイラーメイドファームにて) 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】

ヒシアマゾンの父 シアトリカルの墓(ヒルンデールファームにて) 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】

「ヒシアマゾンはケンタッキーでまだ元気でいるよ。いつでも見に来なさい……」

 フランク氏の気さくな提案に私は喜びと感激ですぐさま、「是非ともお願いします!」と大きな声で返答していた。

今でもレースを走れてしまうのではないか

 ヒシアマゾンは現役引退後、同じオーナーのヒシマサルを種付けして米国へと戻り、生まれ故郷のテイラーメイドファームで繁殖牝馬として繋養されていた。日本にも何頭か産駒が連れてこられ、ヒシアンデス、ヒシシルバーメイド、ヒシラストガイ……などの馬名でデビューしたが、母親ほどの活躍を見せることはなかった。アマゾンは2011年の出産を最後に繁殖生活を終え、28歳になった現在はケンタッキーの牧場で余生を送っているという。学生時代に見知ったヒシアマゾンに初めて会える。まさに数奇な運命を経て、私にアマゾンと対面するチャンスがめぐってきたのだ。

 それから約1年後の2017年夏、私はケンタッキー州のレキシントンに向かった。テイラーメイドファームを訪ねるアポイントメントをとった際、大歓迎の意思表示をされてヒシアマゾンのいる場所も教えていただいた。

現在ヒシアマゾンが余生を過ごしているポログリーンステーブル 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】

 現在ヒシアマゾンが余生を過ごしているのは近くのポログリーンステーブル(Polo Green Stable)で、そこは日本人、ノブ新木さんが運営する生産牧場だった。

 そして案内されるとそこには、現役時代にパドックで見ていたそのままのヒシアマゾンが佇んでいた。

 26歳という年齢を聞いて、きれいだった漆黒の馬体も加齢により白髪がかなり目立ってきているのではないか……と想像していたが、それは見事に裏切られた。顔はその当時のまま。さすがに体全体の筋肉は落ちてはいたが、歯も欠けていたり失っていたりもせず、健康そのもの。顔と首だけを見れば若かったころからの変化を感じさせず、今でもレースを走れてしまうのではないかという雰囲気を感じてしまうほどだった。そして年齢を感じさせないその綺麗な歯で、ヒシアマゾンは与えられた飼い葉をおしとやかに、しかしながらしっかりと噛みながら食べていた。

ヒシアマゾンは現役時代と変わらない若々しい表情だった(2018年8月26日 ポログリーンステーブルにて) 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】

「アマゾン、元気にしている?」

 私はそっと声を掛けたが、アマゾンはちらりとこちらに目をやるとまた牧草へと顔を沈めた。

“あっ、久しぶりに日本語を聞いたわ”

 アマゾンはそんなことを思っていたのだろうか。ケンタッキーでの彼女は大変静かに、そして現役時代にウィナーズサークルで見せていた優しい瞳をした気品のある顔だった。

おばあちゃんになったヒシアマゾンは今もそのまま……

 私はアメリカ出張の折は時間が許すかぎりケンタッキーにも行き、何度も会っているのだが、2つ齢を重ねて28歳になっても、何度訪問して彼女を見てもそれは変わりがない。それこそが現在の彼女を物語っている……。私はそう考えている。

おばあちゃんになった今も元気に暮らしています(2019年2月2日 ポログリーンステーブルにて) 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】

 そんな元気なヒシアマゾンの今を、声援を送っていたファンの方々にお伝えしたくてこの場をお借りしました。

 レースでは圧倒的な強さを見せるのに、普段は気品のある顔立ちと漆黒の毛色で美しい長い脚。目を吊り上げて闘志をむき出しにしていたのに、勝利後のウィナーズサークルではいかにも女性らしい優しい瞳に戻る。そのギャップもまた彼女の魅力だったが、おばあちゃんになったヒシアマゾンは今もそのまま……と心の片隅で思い出していただければ嬉しく思います。

2018年6月17日 ポログリーンステーブルにて 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】

2019年2月2日 ポログリーンステーブルにて 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】

2019年2月2日 ポログリーンステーブルにて 【撮影:カズ石田 (Kaz Ishida)】

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著者プロフィール

京都府長岡京市出身、愛知県南知多町在住。写真家。カズ(Kaz)は米国での呼び名でこれを活動名にする。学生時代に出会った障がい者乗馬の活動に約10年間参加、そこで実際に馬の手入れなども経験。紆余曲折を経て2013年、カメラマンとしてJRAからプレスパスを貸与される。海外での撮影はアメリカ西海岸地区の競馬場が中心だったが近年は東海岸地区の競馬場、ケンタッキーの牧場にも足を運ぶ。2016年、日本人として初めて米ブリーダーズカップのオフィシャルフォトグラファーとなる。 (profile photo by Bill Mochon)

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