知られざる富山とバスケの関係 選手編 チャンス生かし、第3の「バスケの街」へ
15年夏にB1参入が決まった富山。この日が大きな運命の分かれ目となった 【(C)B.LEAGUE】
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富山バスケ界にとっての運命の日
富山のスポーツを取り上げる専門誌『T’SCENE』でも、バスケ回は売り上げが好調だという 【大島和人】
北日本新聞社が発行する富山のスポーツを取り上げる専門誌『T’SCENE』(ティーズシーン)の編集部を訪ねると、スタッフの石川雅浩さんがこんな話を教えてくれた。
「2016年の秋にBリーグが始まって、富山グラウジーズがB1に入ったというところで盛り上がりが始まった。それがなかったら、この雑誌が出ているか分かりません」
創刊号(17年1・2月号)の表紙を飾ったのが、当時は富山に在籍していた城宝匡史(現ライジングゼファー福岡)。そこから隔月で通算13冊が発行されていて、そのうち3冊はバスケを巻頭で取りあげている。他に高校野球、ご当地力士・朝乃山関などの注目度も高いが、バスケは売上の数字が出て、アンケートの反響は特に大きいという。
振り返ると富山のB1入りは18チーム中18番目という「ギリギリ」だった。15年夏、Bリーグ発足に向けてNBL、NBDL、bjリーグのクラブが一度シャッフルされ、B1からB3に振り分けられた。そこでこのクラブがbjからB2に振り分けられていたら、今の盛り上がりはないだろう。
同年7月30日に1部へ参入する12クラブが既に発表されていたが、富山のB1入りは8月29日の最終発表まで不明だった。B1のチーム数をいくつにするべきかという議論も直前まであり、これが「16」になっていたら彼らのB1入りはなかった。クラブにとって、大きな運命の分かれ目だった。
選手も感じる県内での高まり
選手の比留木は「取っ付きやすくなった」と県内でのバスケ熱の変化を語った 【大島和人】
6月のヒアリングで、川淵三郎チェアマン(当時)から「1部は早いんじゃないか」と告げられていた富山だが、短期間で「ファンクラブの会員を5000人に増やす」というハードルをクリアした。ブースターもビラ配り、会員募集などで協力をした。
bjリーグの最終シーズンとなった2015−16シーズンは、有明のプレーオフファイナルズに進出して準優勝。チームは右肩上がりでBリーグ初年度を迎えることになった。
比留木謙司はBリーグ後の変化をこう観察している。
「取っ付きやすくなったのかなと思いますね。いい意味でミーハーな感じになって、ライトな人たちもパッと入れる、それだけ大きいものになった。『あの子グラウジーズが好きなんだ』『へー、どの選手が好きなの?』と普通に会話が通じる」
城宝は11年から6シーズンに渡って富山に在籍し、クラブのエースであり「イケメン枠」の人気選手だった。17年にクラブを去ったが、16年のB1参入と同時に加入したのが宇都直輝。「向こうのリーグ」(bjと分立していたNBL)から加入した宇都は地元のブースターにとってそもそもなじみのない存在で、加入直後はスターターでさえなかった。しかし宇都は高いスキルと、クールな容姿と裏腹な激しいプレーで結果を残し、県民の気持ちもつかんでいく。彼の華やかさは新しいファンを呼び込み、クラブを「メジャーな存在」に押し上げる一因になった。