知られざる富山とバスケの関係 県民編 ブースターが作り出したバスケの下地
クラブが軌道に乗った大きな要因とは?
富山グラウジーズが軌道に乗った大きな要因に、ボランティア、ブースターの支えがあった 【(C)B.LEAGUE】
2018年に北日本新聞社が富山県内の小学生を対象に行った「つきたい職業」に関するアンケートでは、プロバスケットボール選手がついに1位へと躍り出た。県内ではサッカーJ3のカターレ富山、ベースボール・チャレンジ・リーグ(BCリーグ)の富山GRNサンダーバーズもプロとして活動しているが、富山グラウジーズは2016−17シーズンからB1のカテゴリーを守っている。クラブは日本のトップリーグで戦う、富山の象徴だ。
ただクラブが順風満帆に今の地位を確立したわけではない。富山はbjリーグの2季目からプロリーグへ参入したが、初年度に親会社の不祥事があり、いきなり存続の危機に立たされた。発足から5年は最高でも勝率3割台前半という「ドアマット」の戦績しか残せていない。そんなクラブが軌道に乗った大きな要因がボランティア、ブースターの支えだった。
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さまざまな経歴を持ったボランティアの支え
創設当初から富山のホームゲームでは多くのボランティアスタッフが運営を支えている 【(C)B.LEAGUE】
「富山は今でこそあんな熱い応援ができるようになっていますけれど、人見知りする県なので、最初は応援も全然なかったんです。試合を見に行っても『応援したいのにできない』みたいなものがあって、そのときに偶然知り合いだった何人かで狂ったように応援していたんです。2シーズン目へ入るとき、友達が署名活動などに関わっていたこともあって、運営のお手伝いにボランティアとして入るようになりました。バスケが盛り上がればいいし、みんなに好きになってほしいというのと、富山がすごく好きなので富山を上げていきたいという思いがありました。あとグラウジーズが下がっていくのが痛くて……」
「グラウジーズが下がっていくのが痛くて……」とボランティアを始めた理由を語ってくれた五十嵐さん 【大島和人】
大林麻夕はイベント会社の社員で、当初は仕事としてグラウジーズと関わっていた。1年目はやはりブースターとしてクラブを応援し、署名も行った彼女も気づくとボランティアとして“中の人”になっていた。
「チケットをもぎる人を探しているらしいと聞いて『じゃあ行こうかな』と行ったら、あまりにも……。社員さんもバスケのことは知っているけれど、お客さんを呼んでどうということには不慣れだった。イベント会社に勤めているので、仕切りましょうか? みたいな感じで始めました」
イベント会社に勤めていた大林さんは、自信のスキルを運営に生かしたという 【大島和人】
富山では中学校のバスケ部員も設営、撤収に協力をしている。実は「あの逸材」もグラウジーズのボランティア経験者だ。ボランティアスタッフの中田崇は振り返る。
「八村塁くんもいたんですよ。(富山市立)奥田中で。中学生の中じゃ大きいですし、ハーフの子がいるなと気になっていました」
八村塁のボランティア姿を見かけたことがあるという中田さん 【大島和人】
「逆風があるから支えなければいけないというのがあって、ずっと関わっている。ボランティアとして関わることで、その分の経費を少しでも減らしたい」
ボランティアには弁当、飲みものなどを提供することがプロスポーツの常識だが、富山の協力スタッフはそれを自分たちの意思で断った。「ウチらに使うなら、チームの方に使ってほしい」(中田)という思いがあったからだ。
ただし皆の努力も虚しく、富山は07−08シーズンのbjリーグ2季目をわずか7勝37敗で終えた。選手たちはもちろん、ブースターが特に苦しんでいた時期だ。今では手厚く好意的なバスケ報道を行っている県内のメディアも、当時は冷淡に思えたという。ただ、そんな中でも心優しき人々の献身は変わらなかった。